錦繍山太陽宮殿
???????錦繍山太陽宮殿(2015年10月11日撮影)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}錦繍山太陽宮殿
???????Location within 平壌市
概要
旧名称錦繍山議事堂
錦繍山記念宮殿
所在地 朝鮮民主主義人民共和国
平壌市大城区域嵋岩洞
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度3分47.5秒 東経125度47分20.7秒 / 北緯39.063194度 東経125.789083度 / 39.063194; 125.789083座標: 北緯39度3分47.5秒 東経125度47分20.7秒 / 北緯39.063194度 東経125.789083度 / 39.063194; 125.789083
建設
着工1973年 - 1976年
開業1976年(錦繍山議事堂)
1995年7月8日(錦繍山記念宮殿)
2012年12月17日(錦繍山太陽宮殿)
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錦繍山太陽宮殿
各種表記
チョソングル:???????
漢字:錦?山太陽宮殿
発音:クムスサンテヤングンジョン
日本語読み:きんしゅうざんたいようきゅうでん
MR式:
2000年式:
英語表記:K?msusan T'aeyang Kungj?n
Geumsusan Taeyang Gungjeon
Kumsusan Palace of the Sun
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錦繍山太陽宮殿(クムスサンたいようきゅうでん、朝鮮語: ???????/錦?山太陽宮殿)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌市大城区域嵋岩洞にある霊廟。
旧:錦繍山記念宮殿(???????)。かつての官邸であり、現在は金日成及び金正日[1]の遺体を永久保存、安置する施設である。 朝鮮民主主義人民共和国主席を務め、死後も「永遠なる領袖」として推戴されている金日成が生前、公務や生活をしていた主席宮殿『錦繍山議事堂(??????)』を金日成の死後、遺体を保存する霊廟として改築・目的変更した[2]。 金親子の遺体の維持管理はロシアから派遣された技術者に依頼しており、年間維持費は80万ドル以上とする報道がある[3]。 金正日は金日成の死後、次のように述べていた[4]。主席を生前の姿で安置するうえで重要な問題は、主席をどこに安置するかということでした。わたしは錦繍山議事堂を記念宮殿として整え、ここに主席を生前の姿で永遠に高く戴くことを決心しました。幹部たちの意向はどうかと聞いてみると、彼らは世界的に公認された慣例にそって、主席をキムイルソン広場か万寿台の丘、あるいは万景台地区に陵を新しく建設してそこに安置してはどうかと考え、弔意の行事が終わり永訣式をおこなった後には、わたしが錦繍山議事堂で仕事をしなくてはならないと言いました。しかし、わたしは彼らの意向を受け入れることはできませんでした。錦繍山議事堂は、人民が至誠をつくして主席のために建設した贈物であり、主席が長い期間にわたってすごされ、朝鮮革命と人類の自主偉業を賢明に指導された歴史的な建物でした。錦繍山議事堂は名実ともに偉大な主席の主席宮でした。主席がおられた錦繍山議事堂を、主席の偉人像と陵としての特性に合わせて記念宮殿としてりっぱに整え、ここに主席を生前の姿で永遠に安置することは、主席の戦士、弟子であるわれわれの当然の道徳であり、信義です。 平壌市街北東、大城山に向かう金星通り沿いの地下鉄光明駅付近に位置する。外見は宮殿造りで、周囲は正面と側面を水堀、背後を高い塀に囲まれており、厳重な警備が行われている。金正日政権の末期まではその場所を積極的に公表せず、市販の地図にも掲載されていなかった。元々の用途が官邸であったこともあり、現在も宮殿の背後(南側)には厳重に警備された官邸地区がある。 韓国の経済史学者の李栄薫は、「金日成主席の死亡(1994年)から1997年までに金日成の墓のために使われた資金は9億ドル(約970億円)にのぼる。その金があれば、1995年から1998年にかけ300万人が死んだとされる大飢餓(苦難の行軍)の人々を救えたはずだ」と指摘している[5]。また、韓国から北朝鮮に向けて風船で散布している北朝鮮向けビラには、「300万人が飢えて死んだ『苦難の行軍』の時、3年間も北朝鮮人民らを養うことのできる8億9千万ドルを投じて自分の父の金日成の死体を飾るのに費やしました。このお金で食糧を買い、飢える人民に食べさせたら、数百万人が餓死はしなかったはずです。これがまさに人民の父母、人民の指導者と騒ぎ立てる金正日の正体です」と書かれている[6]。
概要
批判