錦小路家
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}梅(うめ)
本姓丹波朝臣嫡流
家祖錦小路幸基
錦小路家(にしきこうじけ)は、丹波氏嫡流にあたる公家・華族の家。公家としての家格は半家、華族としての家格は子爵家[1]。 室町時代の丹波重直
概要
幕末の頼徳は尊皇攘夷派として活躍するが、八月十八日の政変で失脚して三条実美らと共に長州に下った七卿落ちの公家の一人。
明治維新後、華族に列し、明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると同8日に大納言直任の例のない旧堂上家として在明が子爵に叙せられた[1]。その養子の頼孝も貴族院の子爵議員に当選して務めた[3][4]。
錦小路子爵家の邸宅は東京市渋谷区原宿にあった[4]。 〔丹波氏〕
系譜
実線は実子、点線(縦)は養子。
丹波篤基
錦小路長直錦小路篤直
篤直直房重直
幸基
篤忠
定基
秀直
盛直
〔中絶〕
頼庸[5]
尚秀[6]
頼尚
頼理
頼易
頼徳[7]
頼言[8]
益子
在明[9]
頼孝[10]
補注[脚注の使い方]^ a b 小田部雄次 2006, p. 334.
^ ⇒公卿類別譜(公家の歴史)錦小路 (日本語)
^ 錦小路家(半家) (日本語)
^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 325.
^ 小森頼季の子
^ 岡崎国久の子
^ 豊岡治資の子で、唐橋在久の養子
^ 小倉輔季の六男
^ 唐橋在綱の四男、益子の婿養子
^ 唐橋在正の五男
参考文献
橋本政宣編『公家事典』 吉川弘文館、2010年
霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻 霞会館、1996年
近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』 東京堂出版、1994年
外部リンク
公卿類別譜(公家の歴史)錦小路 - ウェイバックマシン(2008年12月11日アーカイブ分) (日本語)
⇒世界帝王辞典 錦小路家(半家) (日本語)
表
話
編
歴
堂上家
摂関家
近衛家
鷹司家
九条家
二条家
一条家
清華家
花山院家
大炊御門家
三条家(転法輪家)
西園寺家
菊亭家(今出川家)
徳大寺家
醍醐家
久我家
広幡家
大臣家
嵯峨家(正親町三条家)
三条西家(西三条家)
中院家
羽林家
中山家
難波家
飛鳥井家
野宮家
今城家(中山冷泉家)
松木家(中御門家)
持明院家
園家
石野家
高野家
六角家
壬生家(葉川家)
石山家
東園家
冷泉家(上冷泉家)
冷泉家(下冷泉家)
藤谷家
入江家
水無瀬家