銭洲
航空写真
(ヒラッタイとネープルス岩礁群・1978年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
銭洲(ぜにす)とは、伊豆半島石廊崎の南方約70kmの海上に位置する伊豆諸島の島(岩礁群)[1]。行政区画は東京都神津島村に属する[1]。銭州、ゼニスと表記されることもある。別名「銭島」。 伊豆諸島の最西端に位置する3つの岩礁群であり[1]、神津島からは南西へ約36km[2]、船で約2時間の地点にある[1]。 大きく2か所(北東と南西)に分かれた岩礁群から構成されており、それぞれ北から「ダルマ」「ヒラッタイ」「ネープルス」と呼ばれている[3][注釈 1]、両者の間はおよそ2km隔たっている。北東のグループはダルマ岩礁群と呼ばれる。南西のグループはさらに2つに分けられ、北側を「ヒラッタイ岩礁群」、南側を「ネープルス岩礁群」と呼ぶ[3]。 海底地形から見れば、大室ダシ?新島?式根島?神津島?銭洲と、北東-南西に連なる小さな海嶺(銭洲海嶺)の頂部のひとつである[5]。岩礁群周辺は水深200m以浅の浅堆(魚礁)となっている。岩礁群周辺の浅堆も含めて「銭洲」と呼ぶ例もある[6][7]。 ダルマ岩礁群の北東にある最浅水深55mの「渡り瀬」の他にも、銭洲周辺にはいくつかの浅所がある[7]。 また、GPSを利用した測量による地殻変動の調査が行われている。 周辺は漁礁を形成しており、過去にはニホンアシカが生息していたり[8]、好漁場として非常に古くから知られていたなど魚介類が豊富に生息している。「銭洲」という名の由来も、魚が非常に捕れ、漁師が行けば「銭になる」ことから来ているとされる[2]。 近年でも釣り人にとって有名なスポットであり、漁船で上陸して釣りを楽しむ者もいる[1]。また、スキューバダイビングのポイントとしても知られており、ウミガメやサメなども生息している[9]他にも、クジラやイルカが周辺に現れることもある[10][11]。 1926年(大正15年)6月25日、イギリスのエレマン・ラインズ社 (Ellerman Lines
地理
ダルマ岩礁群
2つの岩礁からなる。
外ダルマ (5m)、内ダルマ (6m)
ヒラッタイ岩礁群
ダルマ岩礁群の南西2.3kmに位置する。
外ヒラッタイ (4m)、中ヒラッタイ、内ヒラッタイ、エビ根
ネープルス岩礁群
ヒラッタイ岩礁群の南200mに位置する。最高地点(標高10m程度)がある[1]。
大根 (11m)、石山根、カド、マンナカ、ソト
自然環境
歴史シティ・オブ・ネープルス号
1935年(昭和10年)、東京府水産試験場が七島丸で水産資源を調査した[6]。系統的調査が行われたのはこれが初とされる[6]。
2015年6月、ネープルス岩礁群に一等三角点「銭洲」が設置された[1]。現地には標石がある[1]。
位置情報
北緯33度57分14秒 東経138度49分44秒 / 北緯33.95389度 東経138.82889度 / 33.95389; 138.82889 (銭洲)
銭洲[南東] - 地理院地図
33.953889, 138.828889 (銭洲) - Google マップ
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 一色による報告書では、A群とB群(「ダルマ」と呼ばれる)の2群に分け、A群をさらに北亜群と南亜群(「ネープルス」と呼ばれる)に分類している[4]。
^ エレマン・ラインズ社には世界の都市名を冠した「シティ・オブ・○○」という名の船が複数所属しており、シティ・オブ・ネープルスもその一隻である。ネープルスはナポリの英語名。
^ 濃霧の中で座礁した[13]、とするものもある。
^ 救助活動には、ほかに日本海軍の「浦風」も参加した[12]。シティ・オブ・ネープルス号の下級船員はインド人であった[12]。おりしもインドのカシャワール(カーティヤーワール)沿岸でインド船が沈没し、救助を求める遭難者を通りかかったイギリス船(英印汽船会社 (British-India Steam Navigation Company) 所属のヴィタ号 SS Vita)が見捨てたとされる事件(ヴィタ号事件)があり、インドでは反英感情が高まり政治問題化していた[12]。