銚子電気鉄道
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この項目では、企業について説明しています。この会社が運営する鉄道路線については「銚子電気鉄道線」をご覧ください。

銚子電気鉄道株式会社
Ch?shi Electric Railway Co., Ltd.
銚子電気鉄道本社・仲ノ町駅駅舎
(2021年8月16日)
種類株式会社
市場情報非上場
略称銚子電鉄、銚電、CDK
本社所在地 日本
288-0056
千葉県銚子市新生町2丁目297番地
設立1922年大正11年)10月10日
(銚子鉄道株式会社として設立)
業種陸運業
法人番号5040001062287
事業内容鉄道事業・食品製造販売事業など
代表者代表取締役社長 竹本勝紀
資本金6910万円
(2018年3月31日現在[1]
発行済株式総数24万株[2]
売上高4億9198万2000円
(2018年3月期[1]
営業利益△5627万円
(2018年3月期[1]
純利益△3482万9000円
(2018年3月期[1]
純資産9685万3000円
(2018年3月31日現在[1]
総資産5億4308万6000円
(2018年3月31日現在[1]
従業員数24名[2]
決算期3月31日
主要株主竹本勝紀 10.58%
藤本修朗 8.33%
綿谷岩雄 6.58%
小原健史 4.08%
松岡明夫 3.26%
2016年3月31日現在)
外部リンクhttps://www.choshi-dentetsu.jp/
特記事項:1948年(昭和23年)8月20日に銚子電気鉄道株式会社へ資産譲渡。銚子鉄道は解散。
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銚子電気鉄道株式会社(ちょうしでんきてつどう)は、千葉県銚子市に本社を置く鉄道会社である[2]。通称は銚子電鉄[2]、略称は銚電[3]またはCDK。同市内において銚子電気鉄道線銚子駅 - 外川駅)を運営している[2][4]。本社所在地は同線仲ノ町駅構内[5](銚子市新生町2丁目297番地[2])。

1923年(大正12年)に銚子鉄道株式会社として設立開業。戦後、企業再建整備法により、新旧勘定合併のため銚子電気鉄道株式会社と改称し、設立登記を行った。1969年(昭和44年)からは公的助成・補助を受けている[2]営業キロ数は銚子駅構内から外川駅まで6.4キロメートルである。鉄道事業のほか、食品製造販売業及び物品販売業を行っており、年5億円程度の売上高のうち鉄道以外が8割を占める[3]。とりわけ食品では、鯛焼きぬれ煎餅、揚げ餅、佃煮等を製造・販売している。
歴史「銚子遊覧鉄道」および「銚子電気鉄道線」も参照

銚子から犬吠埼・外川方面に至る鉄道敷設は、総武鉄道[注釈 1]によって1901年(明治34年)4月に免許が得られ、一部工事が着手された[6]。しかし工費が莫大であり、到底収支は償わないことから、重役会議において中止が判断されて、工事は途中放棄となった[6]。明治の末頃からは避暑客・遊覧者が増加し、土地の有力者間に私設鉄道敷設の議がおこり、1912年(大正元年)12月7日に銚子遊覧鉄道が設立された[6]。これは官線銚子駅を起点として、犬吠に至る3里半の軽便鉄道で、途中、仲ノ町観音本銚子海鹿島の4か所に駅を設置することも併せて認可を得た[6]。工事は翌1913年(大正2年)6月15日に着手され、その年12月28日に開通した[6]1914年(大正3年)6月に欧州第一次世界大戦が勃発すると鉄材の暴騰が起こり、特にレールの価格は高値となったため、これを筑波鉄道に売って解散した[6]

銚子遊覧鉄道の敷設工事(本銚子駅)

蒸気機関車の乗り入れ

本銚子 - 海鹿島間を行く蒸気1号(客車の白線は特等車)

1923年(大正12年)に再び有志らが鉄道敷設の認可を得て、銚子鉄道株式会社を設立し、同年7月開通を見た[6]。路線も新たに犬吠から外川まで延長敷設された[6]。以下は開通直前に行われた試運転の試乗記を掲載した東京日日新聞の記事である[7]

銚子、仲の町、観音前の停留所を過ぎて本銚子小学校裏手に差しかかると五十分の一のカーブになった幾分は遅くなったが、あたりの眺望がだんだんよくなって来る。いらかのつらなる銚子の町を越えてゆるく流るる坂東太郎が左の窓に浮かぶ。本銚子停留所を過ぎると坦々たる麦畠がつらなり左手は点在した松林をすかして無線電信所の柱や利根河口が絵のように展開する。(中略)銚子唯一の海水浴場、海鹿島にも停留所がある。犬吠灯台のある犬吠にも停留所が設けられた。仙ヶ窟や酉明の浜、又は長崎ノ鼻、外川浜、君ヶ浜などの奇景をあつめた銚子の海にはこの鉄道の開通によってどの位喜びをもたらすことか。丁度三十分で外川に着いた。「気持のいい鉄道」「明るい自動車」の感じが降りてからも記者の頭の中から去らなかった。

1923年(大正12年)6月22日「東京日日新聞」より

その後、観光客や沿線住宅の増加等によって事業は好調に向かい、大正から昭和にかけて笠上黒生君ヶ浜の2駅を新設した[6]。戦後は銚子電気鉄道株式会社と改称し、1945年(昭和20年)に蒸気機関車による7往復運転を再開したのち、翌1946年(昭和21年)に電車運転が開始された[8]1960年(昭和35年)11月には電車とほぼ並行する定期路線バスを運転する千葉交通株式会社の資本系列下に入った[8]。この頃既にバスの台頭と自家用自動車の普及に伴う旅客の減少、産業構造の変化に伴う犬吠駅近所の県営採石場での採石停止による採石輸送の停止[9]などによって営業収支は欠損となっており、経営の改善は困難で鉄道の存続が危ぶまれるという状況の中で、1969年(昭和44年)から市単独の私鉄欠損補助金の交付が開始され、1975年(昭和50年)度からは「地方鉄道軌道整備法」に基づいて、国・県・市による運行維持のための欠損補助が行われることとなった[8]。この間、1970年(昭和45年)には市及び地元住民の要望によって西海鹿島駅を新設した[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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