銃器
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には複数の問題があります。改善ノートページでの議論にご協力ください。

出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2008年11月)


独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年5月)


正確性に疑問が呈されています。(2020年5月)
出典検索?: "銃" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL

SIG XM5RPK

銃(じゅう、: Gun)とは、筒状の銃身から弾丸を発射する道具であり、大砲(砲)より小型の物を指す[1]

英語では、「銃」と「砲」を区別せずに Gun と呼称する。Cannon は「砲」のみを意味する単語であるが、現代の英語では Gun を用いるのが普通であり、Cannon は用いない[2]
概要

銃とは、火薬や様々な気体圧力を用いて、弾丸と呼ばれる小型の飛翔体(en:projectile)を高速で発射する武器の総称[1]。弾丸は高い運動エネルギーを持ち、強い殺傷力や破壊力を持つので、狩猟殺傷する道具として用いられる[3]
銃と砲の境界線

一般には口径が20ミリ未満のものを銃と呼び、20ミリ以上のものをとして分類するが、この基準は運用組織によって異なる場合がある。例えばアメリカ軍および自衛隊では口径20ミリ以上、海上保安庁も同20ミリ以上を砲と呼んでいるが、旧陸軍では明治40年6月以降は口径11ミリを超えるものを砲、昭和11年1月以降はこの区分を廃止して銃か砲かは制式制定毎に決定、旧海軍では40ミリ以上の口径を砲と呼んだ。

「銃」という漢字は元来、の峰部分に設けられた柄を差し込むための穴を表し、転じて主に金属製の筒から弾丸を発射する武器を表すようになった。また現代中国語では、「槍」の字を用いる。

狭義では、一人で持ち運びができる銃のことを「銃器」と称することもある。

転じてグリースガンコーキングガンなど弾丸は発射しないが銃と形の似たものを「ガン」と呼称する。最近では非実体弾を射出する各種の武装・装備を銃と呼称する事も増えている(光線銃等)。その為に、前述の銃定義は広義では当てはまらない事も多い。
銃の歴史
起源元朝の青銅製の「手銃」(ハンドキャノン)

弾丸を発射する火薬を最初に発明した国はいまだに確定していない。中国アラビアインドなどが、それぞれ最初だと主張している[4]ギリシアの古文書に書かれる「ギリシアの火」が火薬の起源と主張する説もある[4]。現在のところ、中国説が有力であるという[4]

初め火薬は、梱包されて導火線をつけ、投擲して建物などを焼く、焼夷弾の火毬に利用された。火毬は火薬を陶器の容器に装填し、破裂すると破片が飛び散る原始的な手榴弾となった。この手榴弾は鉄炮と名づけられ、13世紀にモンゴル帝国が武器として各戦場で使用した。1274年の日本襲来(元寇)の際にもモンゴル軍によって使用された[4]。最古の出土品は1989年に内蒙古で発見された1298年製造のものとされる[5]

同時期に宋では、槍の柄に筒状の容器を取り付けて、その中に火薬を詰めて推進力に利用して飛ばす「火箭」が使用された。中国大陸の古文書には、1259年寿春府で、筒状の木や竹の中に火薬と石の弾丸を入れて前方に飛ばす「突火槍」が発明されたと記されている。この突火槍が後の銃の原型になったとされている[4]。その後、1270年から80年頃に突火槍にかわり、青銅などの金属を筒状に鋳造した「手銃」(ハンドキャノン(英語版))が製造され、これは筒の後方に木の柄を取り付けて使用した[4]14世紀に入ると中国大陸各地に手銃が伝わり、同世紀末頃に中国大陸各地で製造が始まっている[4]。中国の主張によれば、中国大陸で発明された火薬や火薬を使用する武器はシルク・ロードを通ってインドやアラビアに伝わったとしている[4]

原始的銃は中国大陸、アラビア、インドなどアジア地域でいち早く応用されたが、その後アジアでは発展が停滞し軍事的な革新もなされなかった。代わって原始的な銃砲を近代的な銃砲に発展させたことになったのは、アラビアから火薬や銃砲が伝来したヨーロッパであった[4]
ヨーロッパにおける発展西ヨーロッパの柄が付いたハンドキャノン

ヨーロッパでは、12世紀から13世紀ごろにアラビアの薬学書や化学書が錬金術師によってギリシア語ラテン語に翻訳され、その火薬の知識が伝えられた。とりわけ1248年から1254年に行われたヨーロッパ人による第7回十字軍の際にアラビア軍が「突火槍」に近い構造の「ローマンキャンドル」や「手銃」を広範に使用して反撃を行ったことが大きな影響を与えた。当時のローマンキャンドルや手銃では至近距離以外での命中はほとんど望めず、当たったとしてもプレートアーマーを貫通することはできなかったが、発射音や煙で軍馬や兵士を混乱させる効果が大きく、しばしばアラビア軍側に有利に働いた。この戦闘で火砲の威力を知ったヨーロッパ諸国は14世紀から火砲の製造に乗り出すようになった[4]

ヨーロッパで最初に製作された火砲は、ローマンキャンドルと似たキャノンロックだった。キャノンロックは、鉄板を丸めて筒状にし、周囲に多くの鉄製バンドを巻き付けて強化し、後端には柄があった。金属の丸い弾丸だけでなく丸い石や鉄製の矢なども発射した。大きさは様々であり、1人で運搬して射撃できる小さい口径の物から、数人で操作する大口径の物もあった。前者が後の小銃の原型となり、後者が大砲の原型となった[4]。一体構造で強度がある鉄製の筒が製造できるようになるとキャノンロックの小型化は進んだ[4]火縄銃(15世紀)

15世紀に入ると、鋼鉄製品の鍛造加工技術に優れるドイツにおいて、次々と革新的な銃砲のメカニズムが開発された[4]。15世紀初頭には片手で銃を持ち、もう片方の手で火縄を持って点火孔に押しつけて発射した従来のタッチホールロックではなく、引き金を引くと自動的に火縄が点火孔に押しつけられるマッチロック式(火縄式)が開発された[4](マッチロックはそれ以前の1375年頃にベルギーリエージュで発明されたとする説もある[4])。マッチロック式の開発によって銃を両手で保持して照準できるようになった[4]。従来は棒状であった柄も握りやすいよう湾曲した形状になり、頬や肩に密着させて正確な照準が可能となる銃床へと進化し、また銃身の上面に照準器が取り付けられるようになった[4]

このヨーロッパで発明されたマッチロック式(火縄式)が、1543年に日本の種子島に漂流したポルトガル人によって日本に伝えられたものである。戦国時代だったため、各大名の新兵器に対する需要は高く、火縄銃は急速に日本各地に広がったが、徳川幕府が成立すると、幕府は火縄銃の普及を恐れて様々な制限を加えるようになり、また鎖国のためにヨーロッパの最新情報が手に入らなくなって日本における銃の発展や改良は再度ヨーロッパから銃を輸入するようになる幕末まで完全に停滞することとなった[4]

ヨーロッパでは16世紀になると、騎兵向けの軽量銃器として拳銃(ピストレット)や騎兵銃(カービン銃)など用途に適した形式の銃も出現するようになった[4]。しかしマッチロックは火のついた火縄を持ち歩く必要があり、火縄の臭いで敵に気づかれたり、雨や雪で火が消えるなど欠点が多かった。これらの欠点の克服のため、1525年頃にドイツもしくはオランダで誕生したスナップハンス式に代表される火打石と鋼のやすりを擦り合わせて発火させる方式が開発されるようになった[4]フリントロック式の拳銃

17世紀初頭にはフランスでスナップハンス式を改良したフリントロック式が開発されて、やすりの下端が点火孔の外側に装填された補助点火火薬を保護する蓋を兼用するようになった。これによりもはや火縄を持ち歩く必要は無くなり、天候に左右されにくくなった。ヨーロッパ各国は競ってフリントロック銃を軍用銃とした[4]。フリントロック式は信頼性が高く、2世紀もの間使用され続け、その間様々な改良や試作が行われた[4]。またフリントロック式の軍用銃には、歩兵用の長いマスケット銃、それよりやや短く軽量のドラグーン、騎兵用の短いカービン銃、片手で射撃できる小型のピストルなど用途別に様々なものが使用された[4]パーカッションロック式の拳銃

19世紀初頭にヨーロッパでパーカッションロック式(管打式・雷管式撃発装置)の発火方式が、フリントロックに代わるものとして開発された。これは水銀系の雷汞という火薬を発火に使用するものだった[4]。フリントロックと違って、補助点火火薬の装填の必要もなく、発射後再装填がすばやく行え、空気中の湿気の銃身内の火薬の保護にも優れていた[4]。18世紀中頃以降には、ヨーロッパ諸国は従来のフリントロックを改造した物か、パーカッションロック式を軍用銃として採用するようになった[4]

金属加工技術に優れるドイツでは、古くから銃身内に螺旋溝(ライフリング)を刻み、弾丸に回転を加えて命中精度を高めた「イェーガー・ブクセ(狩猟銃)」が狙撃兵に支給されていた[4]。他のヨーロッパ諸国もパーカッションロック銃の時代になると、銃身内に螺旋溝を刻むようになり、命中精度が向上した。英語でマスケットと呼ばれていた歩兵用小銃がライフルと呼び変えられた語源はこれである[4]。一方、騎兵用の短い銃は、単発銃の時代に発射後にフックで吊るして戦闘を続けたため、ドイツ語でフックを意味する「カラビナー」から英語でカービンと呼ばれるようになった[4]
近代から現代M1911

19世紀中頃までは、火薬と弾丸を槊丈という棒でもって銃口から装填する前装式(先込め式)が一般的だったが、これは再装填に時間を要し、その間無防備になってしまい、また不発弾の排除の手順が面倒という欠点があった。そのため18世紀の頃から弾薬を銃身の後ろから装填する後装式(元込め式)が、考案・製作されていたが、弾丸と発射薬をばらばらに装填するために発射ガスが後方から噴き出す欠点があった。そのため初期の後装式銃は、後方に噴き出す発射ガスを減らして射手が直接に吹きつけられることがないよう設計されていた[4]

後装式銃の画期となったのはドイツのドライゼ銃である。この銃は長い撃針を持ち、弾薬は弾丸と発射薬と雷管が紙で包まれて一体化されており、撃針が紙の包みを貫通して弾丸後端の雷管を突くことで発火させた。この銃が構造的に注目されたのは、ボルト(遊底)という円筒状の前後に動く可動部分を持っていたことであり、このボルトをすばやく動かすことで再装填できた。普仏戦争でこの銃が活躍したことで注目された[4]

19世紀には弾薬にも変化が現れた。従来の弾薬は、弾丸、発射薬、雷管とバラバラだったのが、新たに発明された弾薬は、薬莢(カートリッジ)とよばれる軟金属製のカップで一体化された。この薬莢によって後装式銃の製造は容易になった[4]。特に1860年代にフランスやイギリスで軍用弾薬の高い圧力にも耐えられるセンターファイアー・カートリッジが開発されると以降はこれが弾薬の主流となり、現在に至るまで使用され続けている[4]。弾薬の一体化で後装式単発銃のみならず、手動式の連発銃、自動的に弾薬を再装填する自動装填式銃(セミオートマチック・ライフル)、連続して射撃できる自動銃(オートマチック・ライフル、フルオートマチック・ライフル)、さらには機関銃(マシンガン)の製造も可能となっていく[4]

1871年に製品化されたドイツのマウザー・ボルトアクション方式小銃はドライゼ銃を改良したような構造で、薬莢を使用した後装式銃として最も特筆される製品となり、以降続々とその改良型が考案されて世界各国にコピーされ、第二次世界大戦が終わるまで各国の軍用銃の主流を占めた[4]。日本でも1880年(明治13年)に初の国産ボルトアクション式小銃村田銃が登場して以降、国産小銃の開発が進められていった[4]

1884年にはフランスで無煙火薬が発明された。これにより発射煙で視界が妨げられることがなくなり、弾丸を高速で発射できるので、8ミリ程度の小さな弾丸口径で弾薬を軽量に製造することも可能となった。1886年にフランスは世界に先駆けて無煙火薬の口径8ミリ弾薬を軍用に採用。その後10年間に世界各国も採用し、弾薬を口径6.5から8ミリに小さくして軽量化させた[4]。弾薬軽量化で自動銃の研究も進み、19世紀末には自動装填式拳銃(セミオートマチック・ピストル)や機関銃が実用化された[4]

第一次世界大戦では敵塹壕への突撃のために、射撃しながら前進できる空冷式で軽量の軽機関銃(ライトマシンガン)、拳銃弾を連発できて塹壕内で動きやすい小型サブマシンガン(マシンピストル・マシンカービン・機関短銃)も新兵器として登場した[4]。また第一次世界大戦を契機として軍用銃器の中心であるボルトアクション小銃も命中精度よりも扱いやすさが重視されるようになり、110センチほどに短くなった[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:90 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef