銀河_(航空機)
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空技廠 P1Y 銀河

銀河一一型

用途:陸上爆撃機

設計者:海軍航空技術廠 山名正夫中佐、三木忠直少佐

製造者:中島飛行機

運用者: 大日本帝国日本海軍

初飛行:1942年6月

生産数:1,102機

生産開始:1943年8月

退役:1945年8月

運用状況:退役
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銀河(ぎんが)は大日本帝国海軍(以下、海軍)が開発・実用化した双発爆撃機。海軍の航空機関連技術開発を統括する航空技術廠(以下、空技廠)が大型急降下爆撃機として開発した機体だが、一式陸上攻撃機(以下、一式陸攻)の後継機として太平洋戦争後半の戦いに投入された。連合国軍によるコードネームは「Frances」。連合軍は当初本機を戦闘機と誤認して「Francis」という男性名を付けたが、爆撃機と判明した後に女性名である「Frances」に変更したという。
開発の経緯と名称

1939年(昭和14年)頃、海軍では将来の基地航空兵力には、ヨーロッパ戦線で活躍しているような大型の急降下爆撃機を配備するのが望ましいと考えられていた。これは、支那事変における九六式陸上攻撃機の戦訓から、今まで以上の高速と航続力、大型爆弾を用いての急降下爆撃などが求められていたためである[1]。その頃、空技廠では速度記録機Y-10、航続距離記録機Y-20、高度記録機Y-30の研究を行っていた[注釈 1][2]。その後、海軍からの要求に応えるかたちでY-20をベースにドイツから輸入したJu 88Aに使用されている技術を導入することで高性能爆撃機を開発することとなり、十三試艦上爆撃機(D4Y1。後の彗星)試作一号機が初飛行して間もない1940年(昭和15年)末に「十五試双発陸上爆撃機」として開発が命じられた。ただしJu 88Aの技術は参考にならなかったとされる。開発主務者は彗星の設計主務者を務めた山名正夫技術中佐。だが実際には総括主務の三木忠直技術少佐が指揮していた。

十五試陸爆に対する海軍の要求性能は、概ね下記の様なものだったとされる。

一式陸攻と同等の航続力を持つこと(約5,556 km)。

零式艦戦と同等の速力を発揮可能なこと(約511.2 km/h)。

雷撃並びに1トン爆弾での急降下爆撃が可能なこと(急降下制限速度648.2 km/h)。

離陸滑走距離600m以内。

なお日本海軍の定義では、急降下爆撃機が「爆撃機」、雷撃機が「攻撃機」に分類される。本機は爆撃機として開発が始まり、途中で雷装可能であることが追加要求され、雷爆可能となった機体であるが、爆撃機に分類され名称も爆撃機の命名基準に従ったものになっている。なお同様に急降下爆撃と雷撃を兼用する艦上機である流星 (B7A1) は艦上攻撃機に分類されているが、名称は艦上爆撃機の命名基準に従ったものになっている。
設計の特徴

機体の小型・軽量化、空力学的洗練に努めつつ、彗星で採用された技術を踏襲している。
胴体

小型・軽量化のため、一式陸攻を始めとする双発爆撃機では7名程度の搭乗員数(操縦員、電信員各2名、偵察員及び機銃員数名)を3名(操縦員、偵察員、電信員)に削減することで胴体の最大幅を一式陸攻の60%の1.2m[注釈 2]に抑え、前面投影面積の最小化による空気抵抗の削減を図っている。また風防を低く抑えたため、彗星と同じ背負式落下傘を採用している。

爆弾倉は全長5mを超える九一式航空魚雷でもほぼ収納することができ、魚雷または800kg爆弾は1発、500kgまたは250kg爆弾は2発搭載することが出来た[注釈 3]。爆弾倉には魚雷爆弾の代わりに内蔵式の増加燃料タンクも搭載可能だが、一式陸攻の様に30 - 60kgの小型爆弾を多数搭載することは出来ない。爆弾倉扉も彗星と同じ胴体内側に畳み込む方式で、爆装時のみならず爆撃時における空気抵抗の増加を防いでいる。
主翼

戦闘機並みの速力と高速急降下からの引き起こしに耐える剛性を実現するため、主翼面積を一式陸攻より約30%小さい55m2に抑えている。その結果、試作機が要求性能を超える最高速度と急降下制限速度を記録する一方、翼面荷重が正規時でも一式陸攻の過荷重時を超える191kg/m2(一一型。過荷重時は245kg/m2)になっている。翼型は彗星と同じく、内翼側が層流翼に近いもので、外翼側にいくにつれて翼端失速しにくい通常の翼型に変化する半層流翼を採用しており、配置も彗星と同じ中翼である。要求性能にある離陸滑走距離を実現するため、フラップは型式こそ彗星と同じセミファウラー式だが、胴体とエンジンナセルの間の部分にスプリット式の子フラップを持つ親子式フラップを採用している。

急降下抵抗板は彗星と同じく主翼下面のフラップ直前にあり、急降下爆撃時には下方に最大80度開いて過速を抑え、フラップを開いた時には内側に引き込んで隙間の形状を有利に整形しフラップの効率を高める。それ以外の時は隙間をきれいに塞いで主翼と面一になり、空気抵抗を生じない[3]補助翼も彗星と同じくフラップに連動して左右とも10度下がり[4]揚力係数を高めているが、やはり主翼幅の55%を占めるフラップのため補助翼の長さを十分にとることが出来ず、夜間戦闘機として採用された際は効きの不足が指摘されている。主翼の主桁と前後の補助桁の間には片翼に7個の燃料タンクが設けられており、5個は通常の型式だが、外翼前縁側の2個のみセミインテグラル式になっている。
発動機

試作段階だった小型高出力発動機のを日本軍機の中で最も初期に採用している。このため、十五試陸爆試作機の試験飛行が開始された時点では誉の完成度も低く、空技廠での性能試験中に20回を超える故障が起きている。試作機では一一型を搭載していたが、量産型では高高度性能を改善した誉一二型に変更している。小型の誉に合わせ、発動機直径の1.1倍という小直径で抵抗の少ないエンジンナセルが装備されている。排気管は試作機では集合式だったが、量産機では推力式単排気管に変更されている。

夜間戦闘機型の試製極光 (P1Y2-S) では、生産数が不足気味の誉一二型からやや大型ではあるが生産数にやや余裕のある火星二五型に発動機を変更し、エンジンナセルも新たに設計されている。
武装と防弾銀河の後部。後方旋回銃が見える夜戦型(極光)の後部。後方旋回銃が廃止され、風防の段差も改められた

小型・軽量化という設計方針に従い、一式陸攻では5挺程度搭載されていた防御用旋回機銃も前方と後上方の各1挺ずつ(試作機は7.7mm機銃。量産型は20mmまたは13mm機銃)に削減されている。但し、後上方用旋回機銃を使用するために後部風防を開けると速度が低下することと、防御火器の増強が求められたため、後上方旋回機銃を動力式の13.2mm連装機銃に変更した型も試作されている。また夜間戦闘機型では後上方旋回機銃を廃止して、胴体後部に20mmまたは30mm斜銃を装備している。

防弾装備はかなり充実しており、操縦員後方には折畳式の防弾板、戦闘・離脱時に使用する通常型燃料タンクを自動防漏式とした上で自動消火装置とセミインテグラル式の外翼前縁側燃料タンクへの炭酸ガス充填装置も装備されており、一式陸攻で問題となった被弾時の脆弱性の改善に努めている。
その他

操縦員の負担軽減のため、自動操縦装置やリクライニング機能付きの操縦席が装備されている。また大航続力を得るため、両主翼下に容量600Lの大型落下式増槽を各1本懸吊することも可能。主脚やフラップ、爆弾倉扉の開閉には電動を採用した彗星で不具合が続出したこともあり、本機では油圧を採用している。彗星での反省を元に生産性に配慮した設計が行われたが、生産を担当する中島飛行機の実情とあわない点があり、十分な効果を上げることは出来なかった。
実戦
試作機の審査と量産への移行

1942年(昭和17年)6月から完成し始めた試作機は、最高速度566.7km/h/5,500m、航続距離5,371km、急降下最終速度703.8km/hという海軍の要求を超える高性能を発揮した。戦況の悪化から早期の実用化が求められたため、通常は空技廠での性能試験終了後に行われる横須賀航空隊での実用試験が性能試験と平行して行われ、1943年(昭和18年)8月には転換生産を行う中島飛行機製の試作機も完成、同年11月から本格的に量産が開始された。
部隊配備銀河、護衛空母「オマニー・ベイ」, 1944年12月15日09時45分頃[5]

1944年(昭和19年)10月に陸上爆撃機銀河一一型 (P1Y1) として制式採用されたが、実際には最初の実戦部隊である第五二一航空隊はその1年以上前に開隊していた。第五二一航空隊はマリアナ沖海戦とニューギニア戦線に投入されたが、アメリカ海軍の猛攻により壊滅した。その後も、台湾沖航空戦、レイテ戦、九州沖航空戦、沖縄戦等に投入された。

銀河による戦果としては、台湾沖航空戦にて1944年10月14日の夜間雷撃で、第762航空隊の銀河4機が軽巡ヒューストンを雷撃、3機は迎撃機に撃墜されたが残る1機の投下した魚雷が命中し、あわや撃沈という程の損傷を与えた。ヒューストンはそのまま終戦まで復帰できず、前日に一式陸攻の雷撃で大破した重巡キャンベラとともに台湾沖航空戦での数少ない戦果となった[6]

1945年(昭和20年)3月10日・11日に実施された第二次丹作戦ウルシー環礁のアメリカ艦隊奇襲攻撃)において、二式大艇に誘導された第五航空艦隊梓特別攻撃隊の銀河24機(発進後、機体不調で7機が脱落)が九州鹿屋基地を午前9時25分に発進[7]。直線距離2,300km(実際飛行経路約2,930km)を飛行した後、午後7時前後に薄暮特攻攻撃を決行[8]。福田幸悦大尉機といわれる1機がタイコンデロガ級航空母艦ランドルフ」の艦尾を大破させた。同じく1945年3月の九州沖航空戦時に第五航空艦隊第七六二航空隊の銀河1機が、急降下爆撃により四国南方沖でエセックス級航空母艦フランクリン」に250kg爆弾2発を命中させて、同艦を沈没寸前まで追い込んだことが有名である。

また第七六五海軍航空隊攻撃四〇一飛行隊において銀河に下向きに二〇ミリ斜め銃を一〇?一二挺を搭載し対地攻撃に使用する案が出された。高雄の第六十一航空廠で改造が行われ、3機が改造されたとされる。3月22日夕刻銃装機3機を含む9機が台南基地を離陸しリンガエン周辺飛行場への空襲へ向かった。しかしリンガエン東方十数キロのダグパン飛行場を銃撃し三カ所の炎上を確認したのが銃装機唯一の確認戦果である。この後爆撃による攻撃を重視し銃装機活躍の機会は来なかった。

高性能を追求した本機の機体や発動機の構造は複雑なものがあり、生産性・整備性はあまり芳しいものではなかった。


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