銀座
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この項目では、東京都中央区の銀座について説明しています。

その他の各地域については「銀座 (地名)」をご覧ください。

パチンコパチスロメーカーについては「銀座 (企業)」をご覧ください。

封建時代 (近世) の日本の政権において、銀貨鋳造を行った組織については「銀座 (歴史)」をご覧ください。

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銀座
町丁
銀座の遠景
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日本
都道府県 東京都
特別区 中央区
地域京橋地域
面積
 ? 合計0.87 km2
標高4.4 m
人口(2019年(令和元年)9月1日現在)[1]
 ? 合計3,608人
 ? 密度4,100人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号104-0061[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート品川
※座標・標高は銀座四丁目交差点付近

銀座(ぎんざ)は、東京都中央区地名で、旧・京橋区地域にある。現行行政地名は銀座一丁目から銀座八丁目。郵便番号は104-0061[2]地域ブランドなどとしても知られている。
概要

日本有数の繁華街であり、広義における下町でもある。東京都心を代表する高級商業地として、日本国外においても戦前よりフジヤマ、ゲイシャミキモト赤坂などとともに知られる。海外のハイブランドの旗艦店や高級クラブ、高級バー、高級時計専門店、百貨店などが多数集積しており、東銀座駅前には歌舞伎座が位置している[4]。「銀座」の名は一種の地域ブランドになっており全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられる。ただし近年はユニクロなどのファストファッションドラッグストアなど大衆的な店舗も増えている。ハイブランドのアパレルだけでなく、マクドナルドスターバックスH&MApple Storeなどの外資系の日本1号店が銀座に置かれ、長年銀座を通して欧米文化が発信されてきた歴史をもつ[5][6]

北から南にかけて一丁目から八丁目まで続き、中央通り晴海通りが交差する銀座四丁目交差点付近は銀座の街の中心であり、商業地として日本一地価の高い場所としても知られている[7]。同交差点に位置する銀座和光の時計台は銀座のランドマーク的存在になっている。また西側で有楽町と隣接しており、有楽町駅日比谷駅からも徒歩圏内である。
地理中央通り歩行者天国2012年ロンドンオリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)読売巨人軍優勝パレード(2009年11月22日撮影)

東京都中央区の西部に位置し、西を千代田区、南を港区に接する。北側より銀座一丁目から銀座八丁目まで存在する。また、江戸城外堀を埋め立てた東京高速道路の1・2階部分は商店街となっているが、行政区画が未確定な部分もあり、俗に銀座九丁目・銀座西◎丁目地先などと呼ばれる[8]。こうした事情から、銀座は4丁目と5丁目を除き、1番地が存在しない。こうした未整理区域があることを利用し、銀座八丁目と新橋の間には銀座九丁目を示す「銀座ナイン」と呼ばれる商業施設が3棟あり[† 1]、2号館には「銀座九丁目」というおでん屋が入居している。

街路に関しては、仙台秋田会津若松、駿府(静岡)、名古屋、大坂(大阪)、広島など多くの近世城下町町人地と同じく、直交街路を基本としており、これは近隣の日本橋京橋地区と同様である。

しかし、大阪の船場や名古屋の周辺、あるいは京都四条室町周辺などと異なり、街区は正方形ではなく細長い短冊形となっている。これは、京都のうち豊臣秀吉による都市改造を受けた地域や、大阪の平野町天満周辺、松山などと共通する。

また、街路網は北東から南西に向かう中央通り(銀座の部分だけ特に「銀座通り」と呼ばれる)を中軸として設計されており、大阪、京都、名古屋、札幌のように東西南北の方位を基準とした構造を有していないばかりか、銀座における中央通りの軸線は、京橋、日本橋、神田における軸線と異なる方向を向いている。これは、徳川家康による当初の都市計画の際、江戸前島以来の微高地の尾根筋沿いに、地形に沿った主軸線として通町筋(とおりちょうすじ、現在の中央通り)を設定し、そこから両側に向かう道路を設けることにより、効率的な排水の便を図ったものといわれる。

近代になってからの都市計画に基づきさらに整備が加えられている。関東大震災後、後藤新平による震災復興の都市計画における目玉として、中央通りの東側に、新たな北東?南西軸(東京全体の南北軸の一部)として昭和通りが設けられた。また、数寄屋橋から銀座四丁目交差点歌舞伎座前を経て勝どき橋方面へ至る、北西?南東方向の主要な直交街路として晴海通りが大通りとして整備され、銀座街区の西側には外堀通りが整備された。

このような整備にも関わらず、銀座内部の街路は昔ながらのものであり、通りから通りへと抜ける路地が多く点在し銀座らしい空間を醸し出している。

地域の郵便番号は104-0061で統一されている。
区域

南東側を現在の首都高速都心環状線、その他を東京高速道路にぐるりと囲まれた地域である。かつては、東を三十間堀川、西を江戸城外堀、南を汐留川、北を京橋川に囲まれた人工の島であった。

昭和通りの南東に位置する地域は、かつて木挽町と呼ばれる地域だったが、三十間堀川の埋め立てにより銀座と地続きとなったことから銀座東と改名し、1960年代後半に銀座西と共に銀座に統合された。首都高速都心環状線を挟んだ地域も含めて東銀座駅を最寄りとする一帯は、一般的に東銀座と呼ばれている。

一方、数寄屋橋を中心とする地域はかつて銀座西という町名だったが、地下鉄丸ノ内線の西銀座駅(現在の銀座駅)があったことなどから、町名が銀座となった今でも西銀座の名を冠した施設も散在する(例:西銀座デパート・西銀座チャンスセンター・西銀座通り)。



隣接する地区

東 -
新富築地

西 - 内幸町有楽町丸の内


南 - 浜離宮庭園東新橋新橋

北 - 八重洲京橋八丁堀


地価

住宅地の地価は、2019年平成31年)1月1日公示地価によれば、銀座4-5-6の地点で5720万0000円/m2となっている[9]
歴史
江戸時代

江戸時代以前、現在の丸の内から日比谷にかけては日比谷入江と呼ばれ海になっており、その東には隅田川の運んできた砂によって江戸前島という砂州が形成されていた。その先端が現在の銀座に当たる[10]

江戸前島
江戸前島は銀座付近にあった半島。中央通り付近を尾根筋とし、汐留付近を先端としていた。江戸時代初めの日比谷入江の埋め立てにより、日本橋台地と呼ばれる微高地になっている[11]

1600年徳川家康関ヶ原の戦いに勝利し、1603年江戸幕府を樹立すると、第一回目の天下普請が行われ、日比谷入江の埋め立てと京橋地区の整備が進められた。1604年には東海道が整備されたが、銀座の都市基盤の整備は1612年の第二回目の天下普請まで待つことになる[12]。整備は、京間10間とした東海道(銀座通り)を中心にグリッド状に設計され、それぞれの街区の中央には会所地が設けられた。


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