銀山町停留場
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銀山町停留場*
停留場全景
かなやまちょう
Kanayama-cho

◄M4 稲荷町 (0.4 km) (0.2 km) 胡町 M6►

所在地広島市中区幟町.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度23分35.69秒 東経132度28分0.86秒 / 北緯34.3932472度 東経132.4669056度 / 34.3932472; 132.4669056 (銀山町停留場*)座標: 北緯34度23分35.69秒 東経132度28分0.86秒 / 北緯34.3932472度 東経132.4669056度 / 34.3932472; 132.4669056 (銀山町停留場*)
駅番号●M5
所属事業者広島電鉄
所属路線■本線
キロ程1.2 km(広島駅起点)
駅構造地上駅
ホーム2面2線
乗降人員
-統計年度-3,822[1]人/日
-2019年-
開業年月日1912年大正元年)11月23日
備考* 1965年に山口町から改称。
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銀山町停留場(かなやまちょうていりゅうじょう、銀山町電停)は、広島県広島市中区幟町にある広島電鉄本線路面電車停留場である。駅番号はM5。
歴史

当停留場は1912年大正元年)、本線の広島駅前から紙屋町までの区間が開通[4]したのと同時に開設された[5]。開設当時の名称は山口町停留場(やまぐちちょうていりゅうじょう)であった[6]

1945年(昭和20年)8月6日原爆投下により広島電鉄の市内線は全線が不通となるが、本線は己斐方面から順次復旧、当停留場を含む区間は同年の10月に運行の再開にこぎつけている[5][7]。その後1965年(昭和40年)4月1日には広島市内で町名変更が実施され[8]、山口町が銀山町になったのに合わせて停留場名も銀山町に改称された[7]
年表

1912年大正元年)11月23日 - 本線の開通と同時に山口町停留場として開業[5][7]

1945年昭和20年)

8月6日 - 原爆投下により運行休止[9]

10月1日 - 本線の八丁堀 - 山口町間が運行再開[10]

10月11日 - 本線の山口町 - 広島駅前間が運行再開、本線は全区間が復旧する[7]


1965年(昭和40年)4月1日 - 広島市内の町名変更に合わせて銀山町停留場と改称[5][7]

構造

本線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれている併用軌道であり、当停留場のホームも道路上に設けられている。ホームは低床式で2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置された相対式ホームという形態をとる[11][12]。線路の北に広島駅方面の上りホーム、南に広電西広島駅方面の下りホームがある[11][12]。車両の大型化に伴い、1973-74年ごろには停留場の延長工事がなされている[13]。ホームに架かる上屋は1988年(昭和63年)4月に取り付けられた[14]

かつては当停留場を終着とする方向幕が存在した。折り返し用の上下渡り線があったかどうかについては不明。
運行系統「広島電鉄#運行系統」も参照

本線は広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れているが、このうち当停留場には1号線、2号線、6号線、それに0号線が乗り入れる。

下りホーム広電本社前ゆき、日赤病院前ゆき
広島港ゆき
広電宮島口ゆき、広電西広島ゆき
江波ゆき
上りホーム広島駅ゆき

周辺

広島市の目抜き通りである相生通りの東端に位置し、オフィスビル・雑居ビル・マンションなどがひしめく地区である。東に少し歩くと京橋川に出る。南に少し歩くと広島市の歓楽街・風俗街である薬研堀地区に出る。

2000年までは停留場の南方に広島証券取引所があり、周囲は証券街の様相を呈していた[15]。証券取引所が廃止された後も金融機関の本店や支店が多く立地している[12]

もみじ銀行本店

広島マツダビル

西日本シティ銀行広島支店

エリザベト音楽大学

広島銀行銀山町支店

チサンホテル広島

隣の停留場
広島電鉄
■本線
稲荷町停留場 (M4) - 銀山町停留場 (M5) - 胡町停留場 (M6)
脚注[脚注の使い方]^ “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
^ 『広電が走る街 今昔』45頁
^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』43頁
^ 路線自体は紙屋町より先の櫓下まで竣工していたが、トラブルのため実際に紙屋町より先の区間が開業したのは2週間後のことである[2][3]
^ a b c d 『広電が走る街 今昔』150-157頁


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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