鉱滓ダム(こうさいダム、英語: tailings dam)とは、鉱山の選鉱・製錬工程で発生するスラグ(鉱滓)を水分と固形分とに分離し、その固形分を堆積させる施設である。鉱滓堆積場とも呼ばれる。 「ダム」という名があるように、広義のダムには含まれるものの、水を貯え、それを利用することを目的としていない。このため日本では、通常は河川法の定める狭義のダムには含めない。立地はもっぱら鉱山近くの谷が利用され、構造は砂防堰堤に似ているものや、アースダムに準じて捨石(ズリ)で築くものがある。後者の場合、支柱や基礎を設けていない場合が多く、またダムがスラグの固形分で満杯になった場合、台地状になった上に新しくダムを設けることがある。 浮遊選鉱や金の湿式製錬であるシアン化法によって発生する、重金属や、有害な化学物質を含む泥状のスラグ(スライム)を長時間貯蔵することによって、水分と重金属などを多く含む固形分が分離する。水分はダムの上に作られた水路から排水され、固形分は底に沈み堆積してゆく。排水は有害成分を含む事があるため、沈澱池 鉱滓ダムは鉱山の閉山後も廃水処理場で発生する中和物を堆積させるために利用されることもあるが、それ以外の場合は土を被せて緑化・植林等に努める。しかし、閉山して長年の月日が経ち、特に鉱山を運営する企業が倒産などで消滅した場合には放置されてしまうことが多い。前述の様にダムの堆積物は脆弱な状態にあることが多く、地震や集中豪雨など自然災害によって崩壊し、土砂災害や土壌汚染を引き起こすケースもある。このため、閉山後の管理は休廃止鉱山の最終鉱業権者が、あるいは鉱山会社の破産などで最終鉱業権者が消滅している場合には国や地方自治体などが担い手となり、鉱滓ダムの耐久・緑化工事を施すことが多い。 一定の基準で管理されている鉱滓ダムは、さまざまな安全対策を考慮した設計がなされているが、古い鉱滓ダムでは耐震設計(地震時慣性力、地震時動水圧など)が講じられていないものもあり、自重を支えきれない等の状況下で自壊するケースもある。 1936年(昭和11年)11月20日(および修復中の同年12月22日[3])には秋田県の尾去沢鉱山において鉱滓ダムが決壊[4]、374人の犠牲者を出している。また、1978年(昭和53年)の伊豆大島近海の地震で静岡県の持越鉱山の鉱滓ダムが決壊し、金の製錬で生じたシアン化合物を含む堆積物が流出して狩野川を汚染した。 その他に、宮城県気仙沼市の大谷鉱山の鉱滓ダムにおいて、2011年東北地方太平洋沖地震により液状化を起こし、その後、赤牛川にヒ素を含んだ汚泥土砂が流出した。さらに流出土砂は津波によって逆流し、土砂約4万m3が、引き潮の時に下流や漁港等の合計で5ヘクタールの土壌を汚染した。 1979年、アメリカ合衆国のユナイテッド・ニュークリア社(現在のガルフ・ユナイテッド・ニュークリア社)が管理していたウラン鉱山の鉱滓ダムが決壊。
位置付け
ダムの機能
ダムの管理
ダム決壊による被害
日本
アメリカ合衆国
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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