鉅鹿県
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この項目では、秦代から南北朝時代の県について説明しています。隋代以降の県については「巨鹿県」をご覧ください。

中国地名の変遷
建置秦代
使用状況北斉に廃止
鉅鹿県
前漢鉅鹿県
鉅鹿県
後漢鉅鹿県
三国鉅鹿県
西晋鉅鹿県
東晋十六国鉅鹿県
南北朝廃止(北斉)

鉅鹿県(きょろく-けん)は、中華人民共和国河北省にかつて存在した県。現在の?台市平郷県南西部に相当する。巨鹿県とも表記される。

戦国時代にはの領域であり、秦代になり現在の平郷県南西部に設置され、鉅鹿郡の郡治とされた。南北朝時代北斉により廃止された。

秦末の騒乱時にはこの地で項羽章邯の一大決戦が行われ(鉅鹿の戦い)、この戦いで章邯が敗れた事により秦の滅亡が決定付けられた。後漢末にはここから張角太平道を起こし拠点を置いた。

隋代から現在にかけて河北省に鉅鹿県が存在するが、これは別県(漢代の鉅鹿郡南?県)である。


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