鉄衛団
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神使ミハイル軍団(1927年?1935年)
Legiunea Arhanghelului Mihail
全ては国の為に(1935年?1941年)
Totul pentru ?ar?
コルネリウ・コドレアヌがデザインした軍団運動の象徴、神使ミハイルの十字
党首コルネリウ・コドレアヌ
(1927?1938)
ホリア・シマ
(1938?1941)
創設者コルネリウ・コドレアヌ
ラドゥ・ミロノヴィッチ
イオン・モツァ
コルネリウ・ジョルジェスク
イリエ・グルネアツァ
スローガン「死の部隊」(Echipa Mor?ii)
党歌『聖なる軍団青年』
("Sfant? Tinere?e Legionar?")
創立1927年6月24日[1]
解散1941年1月23日[2]
解散理由政府による弾圧・非合法化[2]
分離元国家キリスト教擁護同盟
後継政党「全ては国の為に」党
(1993?2015)
新右翼党
(2000?)
本部所在地 ルーマニア王国 イルフォヴ県ブカレストグーテンベルク街4番地「緑の館」[注 1][3][4](1933?1941)
機関誌 • 『言葉』(Cuvantul)
 • 『聖告』(Buna Vestire)
 • 『枢軸』(Axa)
準軍事組織鉄衛団(1930?1941)[5]
青年部十字兄弟団[注 2]
労働者組織軍団労働者隊
党員・党友数272,000(1937年[6]
政治的思想軍団主義[注 3]
 • ナショナリズム
 • 大ルーマニア
 • キリスト教神秘主義
 • 反資本主義
 • 反共主義[7]
 • 反マッソン結社
 • 反ユダヤ主義[7]
 • 反ハンガリー
 • 反ロマ
政治的立場極右
宗教キリスト教(正教会
国際連携ファシスト会議
公式カラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 
 
 
党旗

ルーマニアの政治
ルーマニアの政党一覧
ルーマニアの選挙

鉄衛団(てつえいだん、ルーマニア語: Garda de Fier[2][7]英語: Iron Guard[7])は、1927年から第二次世界大戦の初期にかけて、ルーマニアで起こった極右反ユダヤ主義民族運動、およびそれを推進した政党。1940年から1941年まで政権を獲得した。本来鉄衛団は1930年3月に結成した党の準軍事組織を指すが、後に鉄衛団という名はしばしば党全体を指して用いられる。
概要鉄衛団の紋章。三つの十字が牢獄の檻の様な形状をなしているコドレアヌ

王党派とさえ激しく対立し、暗殺事件も引き起こした(1933年1939年にルーマニア首相を暗殺)。あまりにも非道な方法で勢力の拡大をしたために、ルーマニアでは政情が乱され、国民からも恐れられた。

もともとは1927年7月24日、コルネリウ・コドレアヌ(Corneliu Zelea Codreanu)によって、「神使ミハイル軍団」(Legiunea Arhanghelului Mihail)として創設され、彼が1938年に死ぬまで続いた。

この運動の参加者は、「レジオナーレ」(軍団兵、ルーマニア語:legionarii、英:Legionnaires ときに "legionaries" とも)の名で、運動団体は「レジオン」(Legion)や「レジオン活動」(Mi?carea Legionar?、英:Legionary Movement)の名で広く知られている。なお、団体名は、途中の禁止されたものも含めてたびたび変更されている。

1930年3月、コドレアヌはレジオンの民兵政治集団として「鉄衛団」を結成した。この名はしばしばレジオンそのものを表す名として用いられる。その後、1935年6月に、レジオンは正式名称をTotul pentru ?ar?党に変更した。これは、文字通りには『全ては国の為に』の意味であるが、広くは『全ては父なる地のために』、場合によっては『全ては母なる地のために』と訳されている[8]

メンバーは(革新のシンボルとして)緑の制服を着用したことから「緑シャツ隊」(C?m??ile verzi、英:Greenshirts)の名で知られ、互いにローマ式敬礼を用いていた。鉄衛団が主に用いた紋章は十字を三つ重ねたもので、三つ分離したものと雷文一つを組み合わせた変種もある。Crucea Arhanghelului Mihail(神使ミハイルの十字、英:"Archangel Michael Cross")の名で呼ばれることもあったこの紋章は、牢獄の鉄条を意味しており、殉死者の烙印としての意味合いを持っていた。
党史
結成と勃興

コルネリウ・コドレアヌは国家キリスト教防衛協会(National-Christian Defense League、NCDL)というルーマニア政党においてナンバー2の地位にあったが、1927年に離党した。そして彼は、大天使ミカエル軍団を創設した。この軍団はルーマニア正教会を奉じていた。明確に宗教色を持つ点では、当時の他のヨーロッパ諸国のファシズム運動とは対照的であった。Ioanidによると、この軍団は「キリスト正教の堅い考え方を政治教義に積極的に取り込んでいて、近代ヨーロッパではまれな宗教的イデオロギー構造を持つ政治運動となった」[9]

また、この軍団は農民学生層に多くの支持者を抱えており、この点でも、退役軍人を主な支持層とする他のファシズム運動とは異なっていた。とはいうものの、ファシズム特有の暴力傾向はこの軍団にもあって、政治的な暗殺も行った。

コドレアヌはカリスマ性を持つ指導者で、目を見張るような見せ場を上手く演出するなどプロパガンダが巧みだったことで知られる。軍団は、軍隊行進や宗教行事を誇示し、「奇跡」を演出したり愛国的な賛美歌や軍の祝歌を上手く使ったりして、自分たちがこれまでの汚職と利権がらみの集票組織政党(NCDLを含む)に変わる存在だと誇示した。周辺地方の人々も、反共主義、反ユダヤ、反自由主義、反議院内閣制などの原理に共鳴して、奉仕活動や仁愛精神の運動を広めることで軍団を支援した。

当時の聖職者を中心としたファシズム運動が他国でもそうだったように、鉄衛団は明確に反ユダヤ主義の立場をとっていた。そして、「ユダヤ教ラビによるキリスト世界の侵略が、フリーメイソンフロイト心理学ホモセクシュアル無神論マルクス主義ボルシェヴィキ思想、スペイン内戦など予想しなかった変幻自在な形で社会をひそかに侵食している」という考えを推し進めた。

1933年12月10日、ルーマニアの自由党員である総理大臣イオン・ドゥカ(en:Ion Duca)は、鉄衛団の結団禁止を決めた。その報復として、1933年12月29日シナヤ駅のプラットホームでドゥカは鉄衛団員に暗殺された。
血塗られた権力闘争

1937年のルーマニア議会選挙において、軍団は票全体の15.5%を獲得し、自由党と農民党に継ぐ第3位の政党となった。ルーマニア国王カロル2世は、軍団の政治目的に強く反対し、1938年2月10日に政府を解散して、国王の独裁体制を敷いた。これは国王の愛人マグダ・ルペスク(en:Magda Lupescu)がユダヤ人の父を持つローマ・カトリック教徒なので、彼女に依頼されたという説もあるが、単にそれだけではない。まだこの時期は、軍団は概ね迫害を受ける方の立場で、カロル2世は政府から軍団を締め出すことに成功した。しかし、1940年には、国王自身が退位を余儀なくされることになる。

コドレアヌは1938年に逮捕されて投獄され、国家憲兵(ルーマニア語版、英語版)の護送のもと、1938年11月29日から30日の夜に他の数名の団員とともに処刑された。噂によると、この夜に脱獄を企てたといわれる。一般的には脱獄の企ては無かったと信じられており、コドレアヌやその仲間が処刑された理由は、1938年11月24日に軍団がアルマンド・カリネスク(国王の内閣の内務大臣)の関係者を殺害した事件への報復であり、国王が処刑を命じたとされる。


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