鉄兜団、前線兵士同盟Der Stahlhelm,
Bund der Frontsoldaten
鉄兜団のロゴ
鉄兜団の旗
略称鉄兜団
名の由来鉄兜
設立1918年12月25日 (1918-12-25)
設立者フランツ・ゼルテ
設立地 ドイツ国 マクデブルク
解散1935年11月7日 (1935-11-7)
合併元国民社会主義ドイツ前線戦士連盟として突撃隊に合流
種類退役軍人組織
目的平和と秩序を維持
本部ベルリン
貢献地域ドイツ国
会員数(1933年)1,500,000
公用語ドイツ語
連盟指導者フランツ・ゼルテ
連盟副指導者テオドール・デュスターベルク
重要人物
名誉的連盟指導者
アウグスト・フォン・マッケンゼン元帥
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『鉄兜』(Der Stahlhelm)
『軍旗』(Die Standarte)
下部組織
基幹鉄兜団[1](旧前線兵士[2]の組織)
国民鉄兜団[3](旧前線兵士以外)
シャルンホルスト団[4](14歳?17歳)
青年鉄兜団[5](18歳?21歳)
ランゲマルク団[6](学生組織)
加盟 ドイツ国家人民党
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鉄兜団の団長となったフランツ・ゼルテ退役陸軍大尉。後にヒトラー内閣の労働大臣となる。
鉄兜団、前線兵士同盟(てつかぶとだん ぜんせんへいしどうめい、ドイツ語: Stahlhelm, Bund der Frontsoldaten)は、ヴァイマル共和政時代のドイツの在郷軍人組織。退役軍人で組織され、保守的な政治活動をおこなった。ドイツ国家人民党と共闘関係を保ったが、団員の中にはドイツ人民党の党員もいたり、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)とも関わりを持ったりしたことがある。団長は1924年よりフランツ・ゼルテとテオドール・デュスターベルクの二人で務めていた。
歴史鉄兜団の政治集会
右側マイクの前に立っているのが団長フランツ・ゼルテ
革命後の1918年12月25日に退役軍人フランツ・ゼルテがマクデブルクで「鉄兜団、前線兵士同盟」(以下、鉄兜団)を設立した[7]。鉄兜団は反民主主義、反共和制、復古主義、反ヴァイマル憲法、反ヴェルサイユ条約の立場を貫いて退役軍人から強い支持を集めた。設立時は2000人ほどだったが、急速に拡大し、1924年には1万人、1928年には22万5000人[8]、1931年には100万人を超えていたという[9]。
保守・右派政党ドイツ国家人民党(DNVP)と共闘していたが、同党の一部というわけではなく、支持団体に留まった。そのため国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP,ナチス)の突撃隊のように日常的に政治宣伝活動をしていたわけではなく、鉄兜団の日常的活動はあくまで民間防衛隊の役割であった。