鈴鹿8時間耐久ロードレース
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"コカ・コーラ" 鈴鹿8時間耐久ロードレース
FIM Endurance World Championship
"Coca-Cola"Suzuka 8hours Endurance Race
2009年の鈴鹿8時間耐久ロードレース
イベントの種類自動車レース
通称・略称鈴鹿8耐
正式名称FIM世界耐久選手権 "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
旧イベント名インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
開催時期毎年7月最終週の木曜日から日曜日までの4日間[1]
初回開催1978年
会場鈴鹿サーキット
主催財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会
ホンダモビリティランド株式会社 鈴鹿サーキット
後援文部科学省
観光庁
三重県
鈴鹿市
鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会
一般社団法人鈴鹿市観光協会
鈴鹿商工会議所
協賛コカ・コーラボトラーズジャパン株式会社
鈴鹿サーキットへの交通アクセス
最寄駅鈴鹿サーキット稲生駅
直通バス三重交通
駐車場あり
公式サイト
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鈴鹿8耐が行われる鈴鹿サーキット

鈴鹿8時間耐久ロードレース(すずかはちじかんたいきゅうロードレース)は、FIM世界耐久選手権の1戦として毎年夏に鈴鹿サーキットで開催される日本最大のオートバイレース。通称鈴鹿8耐(すずかはちたい)や8耐(はちたい)と呼ばれている。
概要

夏の鈴鹿を彩る名物レースの一つで、オートバイによる8時間の耐久ロードレースである。2017年現在は午前11時30分にスタートし、日暮れから日没をまたいで終盤はナイトレースとなり、午後7時30分を過ぎた直後にトップのチームがゴールラインを通過した時点で終了となる。

1978年から開催され、1980年からはFIM世界耐久選手権レースのひとつとして組み込まれ、特に1980年代から1990年代初頭は日本のバイク人口のピークと相まって大いに盛り上がった。当時の鈴鹿市の人口は約14万人だが、1990年の決勝レースはそれをはるかに上回る16万人の観客動員を記録、さらに大会期間中の延べ入場者数は36万8,500人を記録した。時代と共に二輪車販売が大幅に減少してもなお、ロードレース界における夏の風物詩として国内有数の集客を誇るモータースポーツイベントである。

1984年より日本コカ・コーラ冠スポンサーとなり、以降現在まで大会名称に「コカ・コーラ」の冠タイトルが付く。ただし一時期姉妹品の「コカ・コーラ ゼロ」、「スプライト」の冠だった年もある。なお2022年より冠スポンサーはコカ・コーラボトラーズジャパンに変更された[2]

かつては世界を目指す若手ライダーの登竜門的な存在であった。ケビン・マギーケビン・シュワンツマイケル・ドゥーハンらは、鈴鹿8耐での活躍でWGPの切符をつかんだ。ワイン・ガードナーは、無名時代の1981年に初出場ながらポールポジションを獲得したことが名を知られるきっかけとなった(WGPデビューは1983年)。そうして成長を遂げた彼らの海外における活躍と相前後し、WGPを退いて間もないキング・ケニーことケニー・ロバーツと全日本の第一人者平忠彦によるコンビ結成(1985年)も大きな話題となり、以後日本の4大オートバイメーカーが威信を懸けてWGPやスーパーバイク世界選手権からトップライダーを送り込んだため、1980年代中盤 - 1990年代の8耐はさながら「レーシングライダー世界一決定戦」とも言うべき活況を呈していた。

近年は、MotoGP(旧・WGP)との日程重複やレース自体の過酷さによる消耗を嫌って海外GPライダーの参戦が減少傾向にあるものの、レギュレーションの変更などによる運営上の試行錯誤や全日本選手権等を戦う日本人のエース級ライダーによって、以前に勝るとも劣らない熾烈な戦いが繰り広げられている。

決勝前日にはMFJの国内ライセンスあるいはフレッシュマンライセンス所有者のみが参加できる「鈴鹿4時間耐久ロードレース」も開催される。またオートバイによる来客が多いことにちなみ、二輪車をメインとした市内パレードも催される。かつては暴走族が数千台規模で集まり、警察が出動したこともあった。

前夜祭にはコース上で「ナイトピットウォーク」や「バイクパレード」などさまざまなイベントが行われ、家族連れで大変にぎわっている。2000年にはTRFがヘリコプターを使った演出とライブで前夜祭を盛り上げ、キャンギャルオンステージが行われるなど、盛大に行われた時代もあった。近年は『来場者とレースをもっと近くに』とのコンセプトから、大きなステージは作らず、ナイトピットウォークに時間を割くようになった。2010年からは、SKE48が「鈴鹿サーキットモータースポーツ応援団」として参加し、コース上でライブをするなど、新たな盛り上がりを演出している。非公式ながら『8耐マン』と呼ぶ2人組のキャラクターも出没し、来場者との思い出作りに花を添えている。

1980年に世界選手権シリーズに昇格するまでの(1977年以前は6時間耐久)時代はレギュレーションが緩やかであったため、ホンダ・CBX1000カワサキ・Z1000スズキ・GS1000、からヤマハ・RD350までの市販車改造車と、ホンダ・RSヤマハ・TZなどの純レーサーが、クラス分けもなく混走していた。その中で、500cc単気筒エンジンを搭載した40馬力ほどのプライベーター製車両(後のヤマハ・SRの原型となった「ロードボンバー」)が8位入賞(1978年)するなどの出来事もあった。TT-F1時代は前輪に片持ハブセンターステアのユニット、後輪に片持スイングアームユニットを持ち、かつメインフレームがないelfのような意欲的なマシンや、あえて軽量コンパクトさで勝負に挑んだホンダCBR600、トラストでチューンされたターボチャージャーを搭載するスズキGSX-R400、ヤマハのフレームを使用したBMW K75など、プライベーターでは個性豊かなマシンが出場していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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