鈴鹿1000km
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鈴鹿10時間耐久レース2017年大会でのスターティンググリッド
イベントの種類自動車レース
通称・略称鈴鹿10H
旧イベント名インターナショナル ポッカサッポロ1000km
インターナショナル ポッカGTサマースペシャル
インターナショナル ポッカ1000km
ポッカインターナショナル1000km耐久レース
鈴鹿1000km
開催時期毎年8月下旬の土曜日・日曜日
初回開催1966年
会場鈴鹿サーキット
主催関西スポーツカークラブ
鈴鹿モータースポーツクラブ
ホンダモビリティランド株式会社
後援三重県鈴鹿市
鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会
一般社団法人鈴鹿観光協会
鈴鹿商工会議所
来場者数72,500人(2017年大会)[1]
鈴鹿サーキットへの交通アクセス
最寄駅鈴鹿サーキット稲生駅
駐車場あり

鈴鹿10時間耐久レース(すずか10じかんたいきゅうレース)は、1966年から鈴鹿サーキットで開催されている耐久レース。文字通り10時間の間に周回数・走行距離を競う耐久レースである。

旧称は鈴鹿1000km(すずか1000キロ)。当時は約1000kmを走行する耐久レースとして行われていたが、2009年から2011年の間のみ距離を短縮して開催していた(詳細は後述)。目次

1 概要

2 歴代優勝車・ドライバー

3 テレビ中継

3.1 実況・解説等


4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典

4.2.1 プレスリリース



概要 レース終了後恒例の打ち上げ花火(2015年)

鈴鹿8時間耐久ロードレースと共に夏の鈴鹿を代表する耐久レースの一つ。元々は、1966年に鈴鹿サーキットが立ち上げた「鈴鹿500km」、「鈴鹿1000km」、「鈴鹿12時間」(1967年より)の3戦から成る「鈴鹿耐久レースシリーズ」の1戦として、1966年6月に初開催された。オイルショックの影響で1974年から開催を中断していたが、1980年8月に7年ぶりに第9回大会を開催。これ以降、8月開催が定着した[2]。1981年より国際格式レースになった。

1983年から1991年までは、全日本耐久選手権(1987年に全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に改称)の1戦として開催されるようになる。1992年にはスポーツカー世界選手権(SWC)の1戦として開催されるが、出走台数は11台と過去最低を記録した。SWCは1992年で消滅したため、1993年は単独イベントとなる。以降、1994年から1996年はBPR GTシリーズ、1997年、1998年はFIA GT選手権の1戦として開催される。

1999年から2005年までは再び単独イベントとして開催。全日本GT選手権(2005年よりSUPER GT)のGT500車両およびGT300車両、スーパー耐久車両、国際GT車両などによる混成レースだったが、この期間のすべてでGT500のマシンが総合優勝している。

2006年からはSUPER GTの1戦として開催されることになった。SUPER GTは、基本的に2名のドライバーで参戦するが、通常戦より長丁場になるこのレースは3人目のドライバー登録が認められており(2011年のみ禁止)、国内外の有名レーサーがスポット参戦する。また2006年と2012年以降はボーナスポイントが加算されるなど、SUPER GTシリーズの中でも特殊なレースである。

1994年よりポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)が冠スポンサーとなり「インターナショナルポッカ1000km耐久レース」(1994年)→「ポッカインターナショナル1000km耐久レース」(1995年・1996年)→「Pokka 1000km Endurance Suzuka」(1997年)の名称で知られるようになる。1999年から「インターナショナル ポッカ1000km」に変更したのち、2013年、ポッカの経営統合に伴う社名変更からレース名称が「インターナショナル ポッカサッポロ1000km」に変更された[PR 1]

なお、2009年から2011年はレース距離が短縮されたため、レース名称を「インターナショナル ポッカGTサマースペシャル」に変更している。2009年から2010年は約700kmに短縮され[3]、2011年は3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)及び東京電力福島第一原子力発電所での事故による全国的な電力不足問題(東日本大震災による電力危機)の影響から夜間走行を控える目的で「500km(87周)もしくは18時半を過ぎた段階でレース終了」とさらに距離が短縮された。このため、2011年は第3ドライバーの登録が認められなかった。2012年、4年ぶりに距離を1,000kmに戻して開催された[PR 2]

2014年からは、ポッカサッポロが冠スポンサーを外れ[注 1]「インターナショナル SUZUKA 1000km」と名称を変更。SUPER GTのスケジュール変更に伴い8月中旬の第5戦から同月下旬の第6戦へと移動した。レース距離は1000km・173周、12時30分のレーススタート時刻から6時間が最大延長時間[注 2]のため、2012年以降も夜間走行は行われていない。

また、鈴鹿サーキットでのビックレースでは恒例となっている土曜日夜の「前夜祭」では、一時期、一部のチームがマシンに電飾を装着して走行し、どのマシンが美しいかを観客に投票してもらう「ミラクルナイトセッション」なる催しも行われていたが、こちらも2011年以降は行われておらず、ドライバーやチーム監督のトークショー等がメインとなっている。

鈴鹿8耐と同様、レース終了後には花火を打ち上げるのが恒例となっている。

2017年の第46回大会(「第46回インターナショナル SUZUKA 1000km "SUZUKA 1000km THE FINAL"」)を最後に、鈴鹿1000kmとしての開催を終了した。

2018年からは発展させる形で、SUPER GTなどを主催するGTアソシエイションGTワールドチャレンジなどを主催するSROモータースポーツグループの協力を得て、インターコンチネンタルGTチャレンジ(IGTC)の1戦として「サマーエンデュランス 鈴鹿10時間耐久レース」(開催回数は鈴鹿1000kmから継続)の開催を決定[4]、SUPER GTのGT300クラス(JAF-GT車両も含む)・FIA-GT3・ST-Xなどの世界中のGT3車両が一堂に会するGT3世界統一戦として開催されている(SUPER GTのGT500クラスは別規格であるため対象外)[5]。この開催に伴い、鈴鹿サーキットにおけるSUPER GTの開催については別途日程や距離を設定した上で開催されることになる[PR 3][6]。なお2020-2021年はCOVID-19 (新型コロナウイルス感染症)の影響で中止が発表されている[PR 4][7]。2022年もIGTCのカレンダー入りしなかった[8]
歴代優勝車・ドライバー

出典:2017 AUTOBACS SUPER GT Round6 "46th International SUZUKA 1000km"公式プログラム 96-126ページ

開催年優勝チーム優勝ドライバー優勝タイム周回数備考
単独レース時代
1966年
トヨタ・2000GT福澤幸雄
津々見友彦8:02:13.9167
1967年ポルシェ・906滝進太郎
田中健二郎7:39:21.7167
1968年トヨタ・7福澤幸雄
鮒子田寛6:59:25.6167
1969年ポルシェ・906津々見友彦
米山二郎7:11:23.2167
1970年日産・フェアレディZ 432西野弘美
藤田皓二7:49:19.6167
1971年ポルシェ・910川口吉正
鮒子田寛7:03:44.6167
1972年トヨタ・セリカ 1600GT-R高橋晴邦
竹下憲一6:38:02.4140悪天候のため走行距離840kmで打ち切り
1973年日産・フェアレディ240Z-R高橋国光
都平健二6:24:35.9150悪天候のため走行距離900kmで打ち切り
1974年 - 1979年まで中断
1980年マーチ・75S/マツダ辰巳裕信
長坂尚樹6:30:35.07148悪天候のため走行距離888kmで打ち切り
1981年ポルシェ・935K3ボブ・ウォレク
アンリ・ペスカロロ6:51:20.56167
1982年BMW・M1佐藤文康
長坂尚樹6:42:41.92167-1佐藤/長坂組は黄旗無視により1周減算
全日本耐久選手権時代
1983年ポルシェ・956藤田直広
ヴァーン・シュパン6:40:24.91166
1984年ポルシェ・956高橋国光


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