鈴鹿サーキット
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鈴鹿サーキット概要

2018年の空撮より
所在地 三重県鈴鹿市稲生町7992
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度50分37.77秒 東経136度32分03.81秒 / 北緯34.8438250度 東経136.5343917度 / 34.8438250; 136.5343917座標: 北緯34度50分37.77秒 東経136度32分03.81秒 / 北緯34.8438250度 東経136.5343917度 / 34.8438250; 136.5343917
運営会社ホンダモビリティランド
営業期間1962年 -
収容人数約16万1,000人
2006年F1日本GP開催時)
主なイベントF1日本グランプリSUPER GTスーパーフォーミュラ鈴鹿8時間耐久ロードレースなど多数
コース設計者.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ジョン・フーゲンホルツ(設計および工事監修)

塩崎定夫(事業主体であるKKテクニランドの責任者[1]

レーシングコース(4輪)

コース長5.807 km
コーナー数18
ラップレコード1分27秒064 (2019年)
セバスチャン・ベッテル
フェラーリ (F1)
レーシングコース(2輪)
使用期間20
コース長5.821 km
コーナー数20
ラップレコード2分03秒874 (2019年)
高橋巧
ホンダ・CBR1000RR (JSB1000)
テンプレートを表示
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鈴鹿サーキット(すずかサーキット、Suzuka Circuit)は、三重県鈴鹿市にあるレーシングコースを中心としたレジャー施設F1日本グランプリ鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られる事から日本モータースポーツファンの聖地でもある。レーシングコースの他に遊園地ホテル等があり、モビリティリゾート(自動車を題材とする行楽地)を形成している。

日本初の全面舗装と観客席の両方を備えたサーキット[注釈 1]として、1962年本田技研工業(ホンダ)によって建設された。現在はホンダグループでモータースポーツ関連施設を運営する会社、ホンダモビリティランドによって運営されている。
開設

1950年代末より日本の2輪メーカーはマン島TTレースへの海外挑戦を始めたが、日本初の常設サーキットとして1936年にオープンした多摩川スピードウェイの1950年代末の廃止後、国内の常設サーキットは未舗装の浅間高原自動車テストコースしかなく、代替コース建設案も進展しなかった[2]。ホンダ創業者で、多摩川スピードウェイで行われた第1回大会にも参戦した本田宗一郎は、レースの勝利とモータースポーツの普及のためには本格的なサーキットが必要であると確信し、自社で建設するよう命令を下した。

巨額の投資を危ぶむ声もあったが、藤沢武夫専務が自宅を抵当に入れるなどして推進に向けての意見をまとめ、社内にレース場建設委員会が発足した。複数候補地を検討した末、スーパーカブ増産工場として完成した鈴鹿製作所[注釈 2]の近隣の土地を買収することになった。当初は現在よりも北東寄りの水田を転用して1周約4 kmのコースを計画していたが[3]、本田の「米のできる水田を潰したら、目が潰れる! お米を粗末に扱うな!」との一喝で、丘陵地帯の50万坪の松林に造成することになった[4]

後にホンダランド取締役となる塩崎定夫がコースレイアウト設計グループの責任者となった。塩崎は鈴鹿製作所の生産管理を担当していたが、サーキット設計に関しては全くの素人だった[5]。1960年8月に最初のコースレイアウト原案を作成したが[6]、この初期案は立体交差が3か所あるという特異なレイアウトだった[3]。その後、ヨーロッパのサーキットを視察し、ザンドフールト・サーキットの支配人を務めており、なおかつモンツァブランズ・ハッチホッケンハイムリンクニュルブルクリンクなどからなるサーキット連合体A.I.C.P.を組織運営して取りまとめていたジョン・フーゲンホルツ (John Hugenholtz) を招聘して詳細設計を依頼、施工全体にわたる助言を受けた。「ジョン・フーゲンホルツ#鈴鹿サーキット設計」も参照

河島喜好は「ヨーロッパのコース設計者(フーゲンホルツ)と(鈴鹿の)山の中を長靴をはいてマムシにおびえながら歩いた」「タイヤの片方だけが減ってしまうのを防ぐために(フーゲンホルツから)立体交差をつくって8の字にすればタイヤの両サイドが削れるようになる」と立体交差を設計提案されたことを証言している[7]。塩崎案ではパドックの裏手にヘアピンがあったが、「その場所にヘアピンコーナーがあると、メインスタンドへの排気音が大きくて場内放送が聴き取れないだろう」というフーゲンホルツの助言を受けて廃止された[8]

塩崎は地形の模型上にコースの線を引く際、土木工事よりも施設建設に費用を充てるため、なるべく土砂を削らないで済むよう心がけたという[9]。1稿から5稿に推移するうちに次第に高速サーキットの様相を呈していき、最終的には「行きはテクニカルにコーナーをクリアして帰りは高速で戻る」というレイアウトになった[10][出典無効]。欧州視察時にはサーキットの舗装を靴べらで削って持ち帰り[11]、舗装工事を受注した日本鋪道KK(現NIPPO)にサンプルとして提供した。その際、さらに施工会社が容易に特殊なサーキット舗装の構造を理解できるように、フーゲンホルツは各地サーキットの走行路の路面の舗装を茶筒状にくりぬいた供試体(サンプルコーン)を調査団に提供した。当時のA.I.C.P.加盟サーキットの舗装路面の転圧、幾層もの舗装の積み重ねかたなどの最先端技術をこの供試体によって日本へと持ち帰ることができた。当時の日本ではまだ高速道路が整備されておらず[注釈 3]、塩崎は日本にはまだ高速道路がありませんでした〔略〕から、道路公団が調べに来ました。サーキットを参考にして高速道路を作ったようなものですと述べている[12][注釈 4]

1961年2月、ホンダの全額出資により運営母体となるモータースポーツランド(現ホンダモビリティランド[注釈 5])が設立され、同年6月に工事着工[15]。1962年9月にサーキットが完成し、同年11月3日 - 4日にかけてオープニングレースとして第1回全日本選手権ロードレースが開催された[6][15]。付帯施設を含む総工費は15億円(現代に換算すると255億円[16])に達した。

当時はオートバイで騒音を撒き散らすカミナリ族が社会問題化していた。藤沢は「子供のころからエンジンを楽しむことこそが、未来の自動車環境の発展に寄与する[17]」という理念の持ち主で、当初からサーキットに家族連れで楽しめる自動車遊園地を併設することを考えていた。この「モータースポーツランド構想」の下、東京都の多摩テック(1961年 - 2009年)、奈良県の生駒テック(1961年 - 1965年)、鈴鹿サーキットのモートピア(1963年 - )、埼玉県の朝霞テック(1964年 - 1973年)が順次開園した。

開業60周年を迎える2022年、3月1日にモビリティランドは社名を『ホンダモビリティランド』に変更するとともに、鈴鹿サーキットは30年ぶりにロゴマークを変更した[18]。また、モートピアは『鈴鹿サーキットパーク』に変更された[19]
レーシングコース
コースレイアウト

コースは東西に細長く、中間部分の立体交差を挟んで右回りと左回りが入れ替わる、世界的にも珍しい8の字形のレイアウトとなっている[注釈 6]。コース全長は4輪で5.807 km[20]、2輪で5.821 km。これは日本のサーキットの中でも最長である。コース幅は10 - 14 m[20]。コーナー数は20。最大高低差は52 m[20]。世界の多くのサーキットと比べ摩擦係数の高いアスファルト舗装である。

なお自転車のロードレースなどで使用される場合は、安全性への配慮(詳細は最終コーナーの解説を参照)などの理由で、逆回りで走行する。レーシングカーでは、2023年10月のスーパーフォーミュラ最終戦において佐藤琢磨中嶋一貴がデモ走行を行った際に、逆走での走行が行われたのがおそらく初であるとされる[21][注釈 7]
メインストレート
全長800 m[20]。1コーナーに向けて2.8%[22]下り勾配となっており、グランドスタンドやピットには区画ごとに段差が付けられている。下り坂のため、スタート時にブレーキを離すと車が動き出してしまい、フライングを犯しやすい。低燃費競技Honda エコ マイレッジ チャレンジではノーアクセル・ノーブレーキによる最高速区間であり、直前の最終コーナーの急な下りから次の1&2コーナーまでを効率良くつなげることが要点となる。自転車でのイベントでは逆走のため上り坂になる。
1コーナー、2コーナー
ホームストレートから最初に差し掛かる2連続右コーナー。スピードに乗ったまま100Rの1コーナーを通過し、中間区間で減速して60Rの2コーナーを回り込む。
S字コーナー、逆バンクコーナー
左・右・左・右と矢継ぎ早に中速コーナーが連続するセクション。リズミカルかつ正確に車両操作を行わないとラップタイムに大きく影響するため、「S字を制する者が鈴鹿を制す」と言われる。雨天時には路面に川が出来る箇所があり、姿勢を乱しやすい。2024年3月9日からエナジードリンクメーカー(ブランド)の「ASURA(アスラ)」がネーミングライツ契約を締結し『ASURA S字コーナー』と名付けられた[23]。最後の右カーブは路面にカント(傾斜)が付いていないため、走っているとアウト側へ傾いているように錯覚してしまうので「逆バンク」と呼ばれる。
ターン7
大きな横Gがかかる左の高速ロングコーナー。コース中最もきつい7.8%[24]の上り勾配となっている。1987年夏まではこの個所のコース上空にダンロップタイヤの形をしたゲート看板(ダンロップブリッジ[25])が架かっていたことから『ダンロップコーナー』と呼ばれていた。巨大なタイヤの形のブリッジは無くなってもダンロップは継続して広告は出していたが、2023年3月現在カバーに覆われ、公式サイトでも当該箇所は「ターン7」と表記されている[26]。2023年6月1日、ネーミングライツパートナー契約を、NIPPOと締結したと発表。ターン7が『NIPPOコーナー』という名称となる[27]
デグナーカーブ
短い直線を挟んだ2連続の角張った右コーナー。1962年11月4日に行われた開業イベント「第1回全日本選手権ロードレース」のレース中に、このコーナー[注釈 8]で転倒したドイツ人ライダー、エルンスト・デグナーの名が付けられた。デグナー2の出口で、立体交差で西ストレート終端付近をアンダーパスする。立体交差によりコースが左回りに変わる。
110R、ヘアピン
上り坂の右110Rから急減速して、コース中で最もスピードが落ちる左ヘアピンを回り込む。このヘアピンは左回り区間の最初の左コーナーで、2020年4月1日から日信工業(現 日立Astemo)がネーミングライツ契約を締結し『NISSINブレーキヘアピン』と名付けられた[28]
200R、250R(通称:マッチャン)
下りの緩やかな右カーブが続く区間。元ホンダ社員でRSC契約選手の松永喬(愛称:マッチャン)が1969年8月10日の12時間耐久レースで死亡事故を起こした場所。事故の起きた場所を指すなら出口側の250Rのこととなるが、通称としてはヘアピン立ち上がりから200R、250Rをまとめて指して使われる事が多い。


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