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鈴本演芸場(すずもとえんげいじょう)は、東京都台東区上野二丁目上野鈴本ビルにある寄席。経営は有限会社鈴本演芸場。
都内にある落語定席の一つであり、落語を中心に色物芸も多数上演する。他の寄席とは違い、ごく一部の例外を除き落語協会所属の芸人しか出演しない。 江戸期の安政四年(1857年)、軍談席本牧亭が上野広小路に開設された。創業者は現席亭の祖先で、三代目本牧屋仙之助(またの名を龍助)という。明治維新後に平民苗字必称義務令が出ると、龍助を含む一族は鈴木姓を名乗ったが、住民の宗教信者によるお題目の大声唱が場内にまで響き、営業の支障になった。初代席亭は一計を案じて「本牧亭」を閉鎖し、別の落語・色物の席を造った。席の名称は鈴木と本牧を合せて、「鈴本亭」とした。関東大震災後に現在地に移転。 「鈴本演芸場」への改称時期は不明だが、 毎月10日ごとに出演者・演目が入れ替えられている。 31日のある月(「大の月」、1・3・5・7・8・10月)は余一会が行われる(余一会も基本的に落語協会所属者が出演)。ごく稀に小の月(31日がない月)の最終日の夜興行を「鈴本30日会」として、余一会同様の特別興行を組むこともある。毎年12月下席は26日(2021年より)までの興行となり「年末特別企画公演」と銘打たれた特別編成[注 1]となる(27?31日までは正月初席準備のため休業)。 なお、2021年4月より2023年3月まで都内の定席では唯一月曜が定休日となっていた(月曜が祝日に当たる場合や、初席やお盆などの特別興行は例外で月曜日も営業する)。また、夜の部興行は主任の多くが「ネタ出し」(演目を事前に公表する)を行っている。 落語協会の二つ目が出演。自主興行で運営され、日曜日に開催。10時開演、11:30前後終了。入場料500円。一回の開催で二つ目の落語家が4人上がる。建物管理の都合上[2]、2018年9月30日をもっていったん休止となっている[3]。 都内の他の定席寄席(新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)と違い、落語芸術協会の興行は行われていない。 当初は他の寄席と同様に落語協会と落語芸術協会が交代で興行を行っていたが、興行成績不振のため落語協会と合同での番組編成を落語芸術協会に席亭が提案したところ芸協との確執が生じ、絶縁した[4][5]。1984年9月以降、芸協の興行は途絶えたままで、実質的に落語協会専用寄席となっている。 また、他の寄席で行われている五代目圓楽一門会、落語立川流所属落語家の例外的な出演(興行は打てないが、他協会の興行への出演、余一会への出演など)も、鈴本演芸場は原則認めていない[注 2]。上方落語協会所属の落語家は、出演例がある[6]。年に数回余一会で行われている「落語教育委員会」の新メンバーに選ばれた圓楽一門会所属の三遊亭兼好は、鈴本演芸場には出演できないため、当所で行われる落語教育委員会の興行には必ず、落語協会所属の落語家をゲスト出演させている。 また、2021年以降、落語協会所属の講談師(主に宝井琴調)の主任興行の場合は、他に2名程度日替わりで講談協会所属の真打・二ツ目の講談師が出演することがある。 全席自由席 (2019年10月改定)
歴史
「東京演芸場組合員名簿」(1926年)には「鈴本亭」の記述がある。
1952年6月のプログラム[1]には「上野鈴本演藝場番組」としてある。
1953年に戦災による焼失から再建された宗吾殿(台東区寿)の石柵に彫り込まれた寄進者の名前の中には複数の演芸場や演芸関係者の名前が散見されるが、その中の一柱に「上野鈴本亭」としてある。
概要
外観
上野広小路に面する。入居するビルは保有物件である。
一階入り口にある切符売り場の上が太鼓櫓になっている。前座が開演前の呼び出し太鼓、終演後の追い出し太鼓を、この太鼓櫓で叩く様子を見ることができる。
2021年5月中席より、窓口に自動券売機を導入している。
内部
座席数285。すべて椅子席、飲食用テーブル付属。
2Fに自動販売機(酒あり)、3Fが客席と売店。4Fがお手洗い。
エレベーター(1基のみ)で行き来ができる。
1Fと3Fを結ぶエスカレーターがある。開場時には上りに、終演後は下りとなる。
興行
通常興行は全席自由席。入れ替え制。
特別興行では全席座席指定。チケットぴあで前売りされる。
正月・お盆などは特別企画・特別興行となる。
落語家の栄誉とされる、初席の主任は現在、一部・柳亭市馬、二部・古今亭菊之丞、三部・柳家三三である。
2021年現在、ほぼ落語協会所属の芸人だけで興行を打っている(後述)。
番組
上席(かみせき)1日?10日
中席(なかせき)11日?20日
下席(しもせき)21日?30日
早朝寄席
他協会との関係
通常興行の料金
一般 3,000円
学生 2,500円(中学生以上、24歳まで・要学生証提示)
小人 1,500円(未就学児は入場不可・小学生のみ)
鈴本演芸場で初高座を踏んだ落語家
桂ひな太郎
柳家さん福
桂扇生
三遊亭萬窓
柳家一琴
入船亭扇辰
桃月庵白酒
主な出来事
1945年 - 東京大空襲で焼失。中央通りをはさんだ現在地の向かい側で屋根無しのよしず張りで仮営業し、その間に現在地に再建(椅子席で二階は桟敷)。
1950年3月 - 当時の当席三代目席亭・鈴木孝一郎が本牧亭を復興させ、三女の石井英子にその運営を任せた(1948年から仮営業していた)。
1951年頃 - 火災の為焼失。現在地に再建。
1952年 - 市川鈴本開場(千葉県市川市)[7]。2?3年後には主に大衆演劇場として使われるようになった[8]。
1971年 - 建て替え。現在の近代的なビル建築の寄席となった。
1984年 - 落語芸術協会と絶縁。以後、落語協会の番組のみとなる[9]。
2003年11月25日- 午前6時半、事務所内の応接間の延長コードがショートして絨毯に引火、5階・テナントフロアで火災が発生。清掃会社の社員1人が死亡。高座・客席・楽屋の被害はなし。当日から興行は休業。初席のある2004年1月のみ営業、以降3月まで休業した[10]。
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