この項目では、スズキの創業者について説明しています。建設事務次官については「鈴木道雄 (建設事務次官)」をご覧ください。
日本の政治家鈴木 道雄すずき みちお
『鈴木道雄像』
生年月日1887年2月18日
出生地 静岡県浜名郡芳川村
没年月日 (1982-10-27) 1982年10月27日(95歳没)
死没地 静岡県浜松市
出身校芳川尋常小学校補習科卒業
現職鈴木自動車工業社長
称号勲二等旭日重光章
藍綬褒章
浜松市会議員
当選回数2回
在任期間1930年 - 1934年
1934年 - 1938年
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鈴木 道雄(すずき みちお、1887年(明治20年)2月18日 - 1982年(昭和57年)10月27日)は、日本の技術者、実業家、政治家。勲等は勲二等。
鈴木式織機製作所社長(初代)、鈴木式織機株式会社社長(初代)、静岡県浜松市会議員(2期)、鈴木自動車工業株式会社社長(初代)、鈴木自動車工業株式会社相談役などを歴任した。目次 輸送用機器製造メーカーのスズキを1代で築き上げた初代代表取締役社長及び相談役で、大工、発明家、技術者、実業家として活躍した。同郷(旧遠江国)出身である豊田佐吉や本田宗一郎と共に日本を代表する自動車メーカー創業者の1人として知られる。 1887年2月18日、静岡県浜名郡芳川村にて生まれた。1901年に大工職人に弟子入りし、建築技術を学んだ。しかし、日露戦争の影響から建築の仕事が徐々に減り始めたため、弟子入り先の親方が織機製作に転業することになり、織機の製作技術を学ぶことになる。1909年、鈴木式織機製作所を創業し、独立を果たした。 鈴木式織機製作所を法人化することになり、1920年に株式会社として鈴木式織機を設立し、社長に就任した。また、1930年には周囲から推されて浜松市会議員選挙に立候補し、当選を果たした。以来8年にわたって議員を兼任し、市政の発展に尽くした。1954年、鈴木式織機は鈴木自動車工業に改組されたが、引き続き社長を務めた。1957年2月、鈴木自動車工業の社長を娘婿の鈴木俊三に譲るとともに、自身は相談役に退いた。1982年10月27日に死去した。 2018年、スズキ会長の鈴木修が保有株を寄付する形で「鈴木道雄財団」を設立し、社会福祉やスポーツ振興を支援することとなった[1]。 鈴木家はスズキの創業家として知られており、多くの実業家を輩出している。鈴木道雄の長女と結婚した鈴木俊三は、鈴木家の婿養子として養嗣子となり、鈴木自動車工業の第2代社長を務めた。道雄の三女と結婚した鈴木實治郎は、鈴木自動車工業の第3代社長を務めた。俊三の長女と結婚した鈴木修は、鈴木家の婿養子となり、鈴木自動車工業、および、スズキの社長を務めた。修の長女と結婚した小野浩孝は、通商産業省からスズキに転じ次期社長候補と目されたものの、2007年12月12日に膵臓癌で死去した。修の長男である鈴木俊宏は、スズキの社長を務めた。そのほか著名な係累縁者が多数存在するため、下記の一覧では道雄の親族に該当する者のみ記載した。 [脚注の使い方]
1 概要
2 来歴
2.1 生い立ち
2.2 実業家として
3 顕彰
4 家族・親族
5 系譜
6 略歴
7 脚注
8 関連項目
9 参考文献・サイト
10 外部リンク
概要
来歴
生い立ち
実業家として
顕彰
家族・親族
鈴木俊三(娘婿) - 実業家
鈴木實治郎(娘婿) - 実業家
鈴木修(義孫) - 実業家
鈴木俊宏(曾孫) - 実業家
小野浩孝(義曾孫) - 通産官僚
系譜
鈴木道雄 道雄の長女
俊三の長女
鈴木俊三 鈴木俊宏
鈴木修
道雄の三女 修の長女
鈴木實治郎 小野浩孝
赤地に太字が本人である。
係累縁者が多いため、鈴木道雄の親族に該当する著名人のみ氏名を記載した。
略歴
1887年 - 静岡県浜名郡芳川村にて誕生。
1909年 - 鈴木式織機製作所社長。
1920年 - 鈴木式織機社長。
1930年 - 浜松市会議員選挙当選。
1934年 - 浜松市会議員選挙当選。
1954年 - 鈴木自動車工業社長。
1957年 - 鈴木自動車工業相談役。
1982年 - 静岡県浜松市にて死去。
脚注
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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