鈴木貴男
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鈴木貴男
Takao Suzuki


鈴木貴男
基本情報
国籍 日本
出身地北海道札幌市手稲区
生年月日 (1976-09-20) 1976年9月20日(43歳)
身長175cm
体重72kg
利き手右
バックハンド片手打ち
ツアー経歴
デビュー年1995年
ツアー通算1勝
シングルス0勝
ダブルス1勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪2回戦(2005)
全仏本戦出場なし
全英2回戦(2003)
全米1回戦(1999・2004)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪3回戦(2005)
キャリア自己最高ランキング
シングルス102位(1998年11月23日)
ダブルス119位(2005年11月7日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

鈴木 貴男(すずき たかお、1976年9月20日 - )は、北海道札幌市手稲区出身の男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス102位、ダブルス119位。現所属はイカイ。身長175cm、体重72kg、右利き。フォア・バックともストロークは片手打ちであるが、14歳時までは両サイド両手打ちで、それから変更したという異例の経歴を持っている。目次

1 略歴

2 ATPツアー決勝進出結果

2.1 ダブルス: 1回 (1勝0敗)


3 4大大会シングルス成績

4 著書

5 脚注

6 外部リンク

略歴

堀越学園高時代、インターハイで3冠(単複・団体)を達成。卒業と同時にプロに転じ、1995年の全日本室内選手権・サテライトサーキット第3戦で優勝。同年からデビスカップ日本代表にも選出され、“ポスト松岡修造”として将来を大きく嘱望される。1996年アトランタ五輪に日本代表選手として出場。その後、1996年1997年全日本テニス選手権男子シングルスで2連覇を達成する。1998年にはチャレンジャーで3勝、ストックホルム・オープンではベスト8に進出した。1999年全豪オープンウィンブルドン全米オープンの3大会で本戦出場を果たし、全豪の1回戦では世界ランキング3位のアレックス・コレチャとフルセットにもつれこむ激戦を演じた。

その後故障で休養を余儀なくされたが、2000年にチャレンジャーで4大会連続優勝を果たす。翌2001年デビスカップでは、タイパラドーン・スリチャパンを破り、日本チームの2回戦進出に貢献する。同年のAIGジャパンオープンでは、1989年全仏オープン優勝者のマイケル・チャンを破り、日本人として松岡修造以来13年ぶりのベスト8進出を果たした。同大会では2002年・2003年もベスト16に進出。2003年ウィンブルドン選手権では、日本人選手として松岡以来7年ぶりの4大大会本戦での勝ち星を挙げ、1回戦でディック・ノーマンを破ったが、続く2回戦でカロル・クチェラに敗れた。

2004年デビスカップ対インド戦では74年ぶりの勝利に貢献する。2005年全豪オープンでは、1回戦でアメリカのジャン・マイケル・ギャンビルをストレートで下し、同大会で松岡以来16年ぶりの勝利を挙げると、2回戦でも前年優勝者のロジャー・フェデラーと好試合を展開した。ダブルスでは盧彦勳とペアを組み、ユルゲン・メルツァー/アレクサンドル・ワスケ組との3回戦まで進出した。これは1968年のオープン化(プロ解禁)以来では、日本男子としての4大大会男子ダブルス最高成績になる。同年のAIGジャパンオープンテニスでは岩渕聡とダブルスを組み、決勝でシーモン・アスペリン/トッド・ペリー組をストレートで破り、1970年の現行男子ツアー制度導入後、日本選手が組んだペアでは初のツアー優勝を飾った。

2006年AIGジャパンオープンでは男子シングルス準々決勝に進出したが、当時世界ランキング1位のロジャー・フェデラーに6-4, 5-7, 6-7で敗れた[1]。この後、鈴木は世界ランキングを1078位から459位まで戻した。2007年の全日本選手権では、2連覇中だった岩渕聡、若手の添田豪を押さえ、久々の男子シングルス優勝を飾った。

デビスカップでも長く活動を続け、デビスカップ日本代表の全ての記録において代表歴代1位を保持している。

シングルス・ダブルスともに、日本人選手としては注目すべき実績を残しているが、相次ぐ怪我に悩まされ、ATPランキングトップ100入りは未だに果たしていない。シングルスのキャリアハイ(102位)は、ATPランキング制度採用後の日本人選手では歴代12位であり、20世紀にプロデビューを果たした選手に絞ると、松岡修造・九鬼潤・坂井利郎神和住純についで歴代5位となる。
ATPツアー決勝進出結果
ダブルス: 1回 (1勝0敗)

結果No.決勝日大会サーフェスパートナー対戦相手スコア
優勝1.2005年10月9日
東京ハード 岩渕聡 トッド・ペリー
シーモン・アスペリン5-4(7-3), 5-4(15-13)

4大大会シングルス成績
略語の説明

W F SFQF#RRRQ#LQAPWGZ#POGSSF-BNMSNH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, P=開催延期
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, SF-B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会199619971998199920002001200220032004200520062007200820092010通算成績
全豪オープンLQALQ1RLQ1RLQLQLQ2RLQALQAA1?3
全仏オープンAALQLQAALQLQLQLQAAAAA0?0
ウィンブルドンAALQ1RALQLQ2RLQLQALQAAA1?2


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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