鈴木章治
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アマチュア天文家の「鈴木章司」とは別人です。

鈴木 章治
出生名鈴木 章治
生誕 (1932-08-16) 1932年8月16日
日本神奈川県横浜市
死没 (1995-09-10) 1995年9月10日(63歳没)
日本
ジャンルスウィング・ジャズ
職業クラリネット奏者
担当楽器クラリネット
活動期間1947年 - 1995年
共同作業者ピーナッツ・ハッコー
鈴木章治とリズム・エース
南部三郎
秋満義孝
原田イサム
鈴木敏夫 (ミュージシャン)
鈴木康一
鈴木正男
三木鶏郎楽団
ジョージ川口
小野満
東松二郎とアズマニアンズ
東松二郎
南里文雄とホット・ペッパーズ
南里文雄
池田操のリズム・キングス
池田操
ジミー竹内
大給桜子
小谷教夫
フランキー堺
松崎竜生
松本英彦
阿川泰子
梅田英伸
原信夫
伊藤君子
秋満義孝
ヘレンメリル

鈴木 章治(すずき しょうじ、1932年8月16日 - 1995年9月10日)は、日本のジャズクラリネット奏者。神奈川県横浜市に4男2女の次男として生まれる。父の三郎はヴァイオリン奏者、長兄の敏夫はピアノ奏者、3男の鈴木康一はサックスやクラリネットを、4男の鈴木正男もサックスやクラリネットを演奏。正男は鈴木正男&SWING TIMESのリーダー。甥の鈴木直樹は、 鈴木直樹&Swing Ace Orchestraを率い、サックス、クラリネットを演奏している。
経歴

鈴木章治が最初に手にしたクラリネットは兄(敏夫)が軍楽隊から持ち帰ったBuffet Crampon社製で、当初は兄が生活費を得るために復員の翌日から約2か月半の間、浅草大勝館のボックスで演奏していた。

その後ダンスバンドのピアニストとなった兄の職場へ遊びに行くうちにプロを志すようになり、クラリネット1本だけではやっていけない事を知って貯金を始め、昭和22年15歳の時に待望のアルトサックスを購入する。

進駐軍キャバレー「グランドチェリー」の3番サックスを皮切りにリズム・エースの結成に到るまで実に23もの楽団を渡り歩いた。

【在籍した主な楽団】

@三木鶏郎とその楽団?鈴木章治が初めて全国放送に出演。

A東松二郎とアズマニアンズ?リーダーの東松二郎はクラリネット奏者で、鈴木章治のクラリネット・スタイルの原点はベニー・グッドマンではなく東松二郎であったといわれる。

B松井八郎と東京ジャイブ?松井八郎がアズマニアンズから独立する際に見込まれて引き抜かれ、この頃からクラリネットに専念する。

C南里文雄とホット・ペッパーズ?ここでディキシーランド・ジャズを本格的に学ぶ。

D池田操とリズム・キングス?このバンドで彼のスタイルに決定的な影響を与えた秋満義孝と知り合う。

池田操とリズム・キングスが築地のクラブで深夜まで出演することとなり、逗子から通っていた鈴木章治は家に帰れないという理由で退団を決意する。

これを機にピアノの秋満義孝・ヴァイブの南部三郎らにより鈴木章治とリズム・エースが結成された。年少の鈴木がリーダーとなったのは、最年長で人格者でもあった南部三郎の勧めによるもの。

結成時期は1952年・1953年の両説あるが、初ステージは1953年4月、立川市富士見町の「モナコ」とされている。

以後、リズム・エースとしての演奏活動はリーダーの鈴木章治が1995年に没するまで40年以上続き、ベスト盤も含め膨大なレコード・CDがリリースされている。
鈴木章治とリズム・エースの活躍

1954年にビクターからグループ名義のSP盤が発売され、音楽雑誌(スイングジャーナル)の表紙を飾ったり人気投票で第1位になるなど、人気・実力ともにトップバンドしての地位が確立していた。

そんな中、1957年1月スウィングの王様といわれるベニー・グッドマン楽団が来日し、彼の楽団でリード・アルト・サックスを担当していたピーナッツ・ハッコーが、銀座のクラブで鈴木章治とリズム・エースが演奏していたのを聴いた。その中の「鈴懸の径」を非常に気に入り、その後の米欧巡演でも「プラタナス・ロード」として演奏、吹き込みも行っている。

1月17日の深夜から翌18日の早朝にかけて、TBSのスタジオであるTBSホールでのリズム・エースの放送用録音にピーナッツ・ハッコーがクラリネット奏者としてゲスト参加し、「鈴懸の径」(Platanus Road)、「アイ・サレンダー・ディア」(I Surrender Dear)、「君去りし後」(After You've Gone)、「タイム・オン・マイ・ハンズ」(Time On My Hands)、「ロゼッタ」(Rosetta)等を収録した(この5曲は同年発売されたビクターのLPに収録)。

この「鈴懸の径」は放送後にリクエストが殺到し、ジャズ・レコードの記録を破る大ヒットとなった。

これを機に、鈴木章治とリズム・エースの人気はさらに高まり、1966年ニューヨークエディ・コンドンのクラブに3週間連続で出演し、1982年にはカーネギー・ホールでのコンサートを実現した。

なお、灰田有紀彦(晴彦)作曲、灰田勝彦が歌ってヒットした原曲の「鈴懸の径」は、歌謡曲には少ない3拍子で、これを鈴木章治が4拍子にジャズアレンジしてさらに大ヒットさせたものである。

自身の作曲に、「春のリフ」「野菊のように」「祭りと子供」「真珠の指輪」「キングス・ホリデイ」「今宵また」「ふるさとの子守唄」がある。

また、クラシック作品の演奏記録としては1959年10月、東京交響楽団(指揮:上田 仁)との『クラリネット小協奏曲』(Carl Maria von Weber)がある。

1993年にはジャズ界最高の栄誉である南里文雄賞を受賞した。1995年9月10日に心不全のため63歳で死去した。
ディスコグラフィ

※ 1960年代半ば頃までは録音データ等の未記載が多いため、正確な発売時期をご存じの方は逐次追加・訂正をお願いいたします。

※ グループ名は【リズム・エース】の他に、【オールスターズ】、【オールスター・ディキシーランド・バンド】、【ディキシーランド・オールスターズ】、【鈴木章治とスイング・オール・スターズ】といった名義も含まれます。

※ 歌謡曲の伴奏や他バンドのゲスト参加等は除外しています。

【SP・シングル・EPコンパクト盤】


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