日本の政治家鈴木 淳司すずき じゅんじ
内閣広報室より公開された肖像写真
生年月日 (1958-04-07) 1958年4月7日(66歳)
出生地 日本 愛知県瀬戸市陶原町
出身校早稲田大学法学部卒業
所属政党自由民主党(安倍派→無派閥)
称号法学士(早稲田大学・1982年)
公式サイト ⇒衆議院議員 鈴木じゅんじ Official Site
第29代 総務大臣
内閣第2次岸田第2次改造内閣
在任期間2023年9月13日 - 2023年12月14日
衆議院議員
選挙区(比例東海ブロック→)
(愛知7区→)
(比例東海ブロック→)
愛知7区
当選回数6回
在任期間2003年11月10日 - 2009年7月21日
2012年12月18日 - 現職
瀬戸市議会議員
当選回数2回
在任期間1991年 - 1999年
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鈴木 淳司(すずき じゅんじ、1958年〈昭和33年〉4月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。
総務大臣(第29代)、総務副大臣、経済産業副大臣、総務大臣政務官、衆議院法務委員長、自由民主党副幹事長、瀬戸市議会議員(2期)を歴任した。 愛知県瀬戸市陶原町生まれ(現住所は瀬戸市山手町[1][2])[3]。親は鉄工所を営んでいた[4]。瀬戸市立陶原小学校、瀬戸市立水無瀬中学校、愛知県立千種高等学校卒業。1982年、早稲田大学法学部卒業[3]。同年、松下幸之助が設立した松下政経塾に入塾(第3期生)[3][5]。 1991年、瀬戸市議会議員選挙に出馬し、初当選した。1995年に再選[3]。1999年の市議選には出馬せず、退任[5]。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で愛知7区から出馬し、民主党新人の小林憲司に3,050票差まで迫るも、落選した。なお、この総選挙の直前に、連立政権を組んでいた保守党から青山丘が自民党に入党したため、コスタリカ方式が導入され、選挙後は鈴木が比例区の支部長に就任した。 2003年の第43回衆議院議員総選挙に比例東海ブロック単独で立候補し、初当選した(青山丘は愛知7区で小林憲司に敗れ、比例復活)。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では愛知7区から自民党公認で出馬し、民主党前職の小林憲司を破り再選した。この直前、郵政民営化に反対し、衆議院本会議における採決で造反した青山は新党日本の結党に参加し、比例東海ブロック単独で出馬したが、落選した(その後、国民新党に入党)。なお選挙後、対抗馬だった小林は覚醒剤所持の疑いで逮捕された[6]。2008年、福田康夫改造内閣で総務大臣政務官(情報通信、郵政行政担当[7])に任命され、麻生内閣まで務めた。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党公認で愛知7区から出馬したが、民主党新人の山尾志桜里に敗れ、比例復活もならず落選した[8]。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、愛知7区で山尾・正木裕美(日本未来の党)[9][10]との三つ巴の選挙戦を制し、3度目の当選を果たした[11]。 2014年の第47回衆議院議員総選挙では、愛知7区で前回破った山尾に5千票あまりの差で敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、4度目の当選を果たした[12]。2015年、第3次安倍第1次改造内閣で経済産業副大臣に任命される。2016年、衆議院法務委員長に就任した[13]。 2017年5月2日、「テロ等準備罪」法案の審議をめぐり、民進党は法務委員長の鈴木の委員会運営が「強権的だ」として解任案を提出[14]。しかし5月9日の衆院本会議で鈴木に対する解任決議案は否決された[15]。5月19日、法務委員長として組織犯罪処罰法改正案の採決を実施。同案は与党と日本維新の会の賛成多数で可決され[16]、本会議を経て7月11日に施行された。 2017年衆議院法務委員長を退任後、自由民主党副幹事長に就任。 2017年の第48回衆議院議員総選挙では自民党公認で愛知7区と比例東海ブロックで重複立候補した。鈴木と4度目の対決となった山尾は、週刊誌による既婚男性との交際疑惑報道で民進党を離党し[17]、背水の陣で無所属で立候補した。山尾に834票差で敗れるも[18]、比例東海ブロックでの復活で、5度目の当選を果たした[19][20][注 1]。
来歴
衆議院議員に初当選