鈴木政二
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この項目では、政治家について記述しています。リングアナウンサーの同名の人物については「鈴木政二 (リングアナウンサー)」をご覧ください。

鈴木清司」あるいは「鈴木清次」とは別人です。

日本政治家鈴木 政二すずき せいじ
内閣官房副長官就任に際し公表された公式肖像写真
生年月日 (1948-06-06) 1948年6月6日(75歳)
出生地愛知県碧海郡知立町(現・知立市
出身校日本大学法学部政治経済学科
所属政党(無所属→)
自由民主党
称号法学士(日本大学)
旭日大綬章
親族鈴木雅博(娘婿)[1]
参議院議員
選挙区愛知県選挙区
当選回数3回
在任期間1995年7月23日 - 2013年7月28日
愛知県議会議員
選挙区知立市選挙区
当選回数4回
在任期間1979年4月30日 - 1995年4月29日
知立市議会議員
当選回数1回
在任期間1974年 - 1975年
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鈴木 政二[注 1](すずき せいじ、1948年6月6日 - )は、日本政治家

自由民主党所属の元参議院議員(3期)、元愛知県議会議員(4期)。
経歴

愛知県碧海郡知立町(現・知立市)生まれ[4]。父親は仏壇店「仏壇の三河屋」を営んでいた[5]知立町立知立中学校[6]愛知県立岡崎北高等学校卒業。中学、高校時代は「野球一色の青春」だったという。日本大学法学部政治経済学科卒業後、家の都合で知立市に戻り家業を手伝った[7]

1974年知立市議会議員に初当選。

1975年4月、愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するも、同じく無所属新人の続木義公に敗れる[8]。同年、福田派衆議院議員村田敬次郎の秘書となる[9]

1979年県議選も再び無所属で立候補。自民党公認を受けた現職の続木を破り初当選を果たした[10]

2期目の1985年10月21日旧愛知4区中野四郎国土庁長官が急性心不全により死去。中野は一人息子を1981年に病気で亡くしており[11]、1985年11月6日、第1回後継者選考委員会が碧南市の中野の自宅で開かれることになる。後継候補に選ばれたのは中野の第一秘書の中原義正[注 2]、前特許庁長官の志賀学[11]、県議の杉浦正行、そして鈴木の4名であった[15]1986年2月6日赤坂プリンスホテル福田派の事務所に福田赳夫、安倍晋太郎藤尾正行三塚博塩川正十郎加藤六月森喜朗村田敬次郎ら8人の幹部が集まり、後継者について話し合いがもたれた。鈴木を強く推す村田に対し、岡崎市出身の杉浦正健に傾きつつあった安倍は「鈴木で党の公認はとれるのか」と懸念を示した。福田は無言を押し通したと言われている。この幹部会で鈴木は一旦後継者に内定[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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