この項目では、女優・声優について記述しています。アメリカンフットボール選手の同名の人物については「鈴木弘子 (アメリカンフットボール)」をご覧ください。
「鈴木宏子」、「鈴木浩子」、あるいは「鈴木寛子」とは別人です。
すずき ひろこ
鈴木 弘子
プロフィール
本名鈴木 弘子[1]
性別女性
出身地 日本・山形県[2]
生年月日 (1944-02-10) 1944年2月10日(80歳)
血液型A型[3]
身長155 cm[3]
職業女優、声優
事務所賢プロダクション[2]
配偶者あり
著名な家族@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}石井はるか(長女)[要出典]
公式サイト鈴木 弘子 賢プロダクション [Kenproduction] 声優事務所・タレント事務所・声優プロダクション
鈴木 弘子(すずき ひろこ、1944年[5]2月10日[2] - )は、日本の女優、声優。山形県出身[2][5]。賢プロダクション所属[2]。長女はアートディレクター、グラフィックデザイナーの石井はるか[要出典]。 1952年、小学2年生の時にNHK東京放送児童劇団へ1期生で入団[6]。ラジオドラマ『家なき子』でデビューし、中学3年生まで同劇団に所属。NHKを中心に活動し、劇団風の会にも所属。 以前からフランスの文学や映画が好きであり[7]、高校生からはフランス語の教師を目指し青山学院大学仏文科へ進学[6]。だが在学中、NHKプロデューサーの勧めで1966年7月に放送されたフランス映画『河は呼んでいる
略歴
キャリア初期はテレビドラマのヒロイン役やバラエティ番組などの司会、ラジオDJなど芸能界全般で幅広く活動していたが、声だけの演技の奥深さや集中力、緊張感に惹かれ、本人曰く「流されるように声の仕事をやっていくようになった」とのこと[7][5]。1968年[6]から2003年頃までは東京俳優生活協同組合に所属していた[6]。
2011年、第5回声優アワード功労賞を受賞[9]。近年も現役で活動する一方で、声優養成所で後進の育成にもあたっている[5]。 1970年代から1980年代は外国女優の吹き替えを独壇場といわれるほど多く担当[5]。また、ジャクリーン・ビセットの吹き替えの大半を務めている。 私生活では“恋多き女”という噂があったといい、ある時には渡仏した結婚相手を追いかけレギュラー出演作7、8本を放棄したことがある。帰国後は「もうこの業界に足を向けられない」と思うも、あるディレクターが「その経験が声の演技にどう生きてくるのか知りたい」と声をかけてくれたため復帰できたという。鈴木はこの一件を後に「自分と彼しか見えなくなる感情を知った映画モドキの事件」としており、復帰に導いた当時のスタッフの度量の大きさには感謝しきれないという[5]。 思い出深い出演作に『遙か群衆を離れて』の吹き替えを挙げている[7]。 特技は油絵[6]。免許は普通自動車[6]。 太字は主演・メインキャラクター。
人物
出演
吹き替え
担当女優
アマンダ・タッピング
スターゲイト・シリーズ(サマンサ・カーター)
スターゲイト SG-1(不明)
スターゲイト アトランティス(2007年?2010年)
アリ・マッグロー
さよならコロンバス(1975年、ブレンダ・パティンキン)※ 東京12ch版
ゲッタウェイ(1978年、キャロル・エインズリー・マッコイ)※フジテレビ版
コンボイ(1980年、メリッサ)※テレビ朝日版
ゲッタウェイ(1982年、キャロル・エインズリー・マッコイ)※テレビ朝日版
戦争の嵐(1983年、ナタリー・ジャストロウ)※テレビ朝日版
ヴェラ・マイルズ
サイコ(1975年、ライラ・クレイン)※フジテレビ版
サイコ(1983年、ライラ・クレイン)※TBS版
ヴェロニカ・カートライト
エイリアン(1980年、ランバート)※フジテレビ版