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鈴木 尚広読売ジャイアンツ 二軍外野守備走塁コーチ #82
現役時代
(2012年5月13日、秋田県立野球場にて)
基本情報
国籍 日本
出身地福島県相馬市
生年月日 (1978-04-27) 1978年4月27日(46歳)
身長
体重180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション外野手、二塁手
プロ入り1996年 ドラフト4位
初出場2002年4月2日
最終出場2016年10月10日(セ・リーグ クライマックスシリーズ ファーストステージ第3戦)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
福島県立相馬高等学校
読売ジャイアンツ (1997 - 2016)
コーチ歴
読売ジャイアンツ (2019、2023 - )
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鈴木 尚広
YouTube
チャンネル
鈴木尚広 公式チャンネル Swiftrunner
鈴木 尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、野球解説者・YouTuber。愛称は「タカ」。
NPBにおける代走での通算盗塁数の日本記録保持者であり、現役時代は「代走のスペシャリスト」などと評された[1]。 5歳頃から野球を始める。野球のセンスは人並だったが小学生の時から足は速かったという。中学では陸上部を兼部し、主に中距離を走る。この頃毎日30km近く走ったことで足腰が鍛えられた。相馬高校では野球部に入り遊撃手や控え投手を務めるが、甲子園出場はなく目立った活躍もなかった。1996年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名を受けて入団。 当初右打ちだったが入団後は走力を生かすために左打ちも始める。その走力は高く評価されていたが故障しやすい体質のため離脱を繰り返し、オフシーズンには年俸の半額近い費用で個人トレーナーと契約して食生活も変えた。スイッチヒッターとしての練習は負担が大きく左打ちに絞るなど試行錯誤を繰り返す一方、高田繁二軍監督・緒方耕一守備走塁コーチなどの下で走塁技術の修練にも励んだ。1999年 - 2000年の秋季キャンプでは原辰徳ヘッドコーチにベースランニング13秒3の快足を認められ、「一番の成長株」との評価を得た。 2001年、外野手に転向。イースタン・リーグでリーグ2位の27盗塁を記録し、ランニング本塁打も記録した。この年、プロで初めて怪我無く過ごした。 2002年、新監督に就任した原は鈴木を代走屋として一軍に上げる。4月2日の対中日ドラゴンズ戦で一軍初出場し、初盗塁を記録した。西武ライオンズとの日本シリーズでは代走として3試合に出場。特に第4戦では斉藤宜之が松坂大輔から打った三遊間へのヒットで二塁からホームへのクロスプレーがセーフとなる好走塁を見せ、結果的にこれが決勝点になり、巨人4連勝日本一に貢献。 2003年、再び内野手(二塁手)に挑戦し、レギュラーの仁志敏久が故障しプレーに不安を見せると、二塁と外野を兼任し104試合に出場した。18盗塁はチームトップで、初本塁打を含む3本塁打を放つなど長打力の向上も見られた。2003年から2009年まで7シーズン連続でチームトップの盗塁数を記録した。 2004年、堀内恒夫が監督に就任し、守備重視の戦略を採ったため再び外野に専念した。打席は前年の低打率もあり左一本に絞った。レギュラー選手の力を高めて戦う方針に変わったことで「一芸選手」の鈴木の出場機会は減った。選手層の豊富な外野ではレギュラーを奪えずに代走での出場が主になった。この年は9盗塁を記録したがこれはチームトップの記録で機動力をほとんど駆使せず本塁打に比重を置いたチームの戦いが浮き彫りとなった。 2005年も前年同様に代走起用がほとんどだったが、シーズン後半にタフィ・ローズが戦線離脱するとスタメンを獲得。9月に故障で離脱したものの、27試合出場でチームトップの11盗塁。このペースは146試合換算で約59盗塁という数字となり、単純な計算では盗塁王の赤星憲広の60とほぼ同じ数字となる。打撃面も99打数ながら打率3割を記録した。 2006年、原が監督に復帰し走力を重視する方針を採ったため外野のレギュラー争いで優位な立場となった。
経歴
プロ入り前
プロ入り後