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日本の政治家鈴木 史朗すずき しろう
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生年月日 (1967-07-16) 1967年7月16日(56歳)
出生地 日本 長崎県長崎市
出身校青雲高等学校
東京大学法学部
前職国土交通官僚
称号法学士
第36代 長崎市長
当選回数1回
在任期間2023年4月26日 -
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日本の官僚鈴木 史朗すずき しろう
生年月日 (1967-07-16) 1967年7月16日(56歳)
出生地 日本 長崎県長崎市
出身校青雲高等学校
東京大学法学部
公式サイト鈴木しろう公式ウェブサイト
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鈴木 史朗(すずき しろう、1967年〈昭和42年〉7月16日 - )は、日本の政治家、元国土交通官僚。第36代長崎市長。学位は法学士(東京大学・1991年)[1]。
九州運輸局長、第五管区海上保安本部長、内閣府地方創生推進事務局総括参事官などを歴任した[2]。
実父は長崎県教育委員長や長崎日米協会会長などを務めた鈴木一郎。祖父は1951年から1967年まで長崎市長を4期務めた田川務[3]。 長崎県長崎市出島町で生まれる。諏訪幼稚園、長崎市立新興善小学校、青雲中学校・高等学校、東京大学法学部卒業[2]。 大学入学と同時に上京。故郷への帰省に寝台列車で20時間かかっていたことから、地方の距離のハンディキャップを無くしたいという思いで運輸行政を志す。1991年に運輸省入省後は、交通・観光、危機管理(海保)、地方創生、国際平和協力、海外留学などを経験した[2]。 2022年6月に九州運輸局長就任。九州全体の運輸・観光行政の責任者となったことが人生の大きな転機となる。西九州新幹線開業に伴い、長崎駅周辺は再開発が進み、「100年に一度の変革」が進む故郷の状況を目の当たりにする。 今の長崎は「100年に一度のチャンス」であると同時に、取り組むべき課題が山積する「100年に一度のピンチ」であるとの考えから、これまでの自らの経験やネットワークなどを故郷に捧げることこそ最善の恩返しであると決意し、国土交通省を退職[2]。2022年12月14日、翌年春に行われる長崎市長選挙に出馬表明[11][3][12]。
経歴
年譜
1991年 - 運輸省(現在の国土交通省)入省
1994年 - 運輸省運輸政策局国際業務第一課係長(WTO設立に向けたGATTウルグアイランド交渉)
1998年 - ロンドン大学(LSE[要曖昧さ回避])修了(国際政治経済学修士)[要出典]
2003年 - 国土交通省観光部国際観光推進課課長補佐(日本初の官民共同インバウンド誘致事業「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を立ち上げ)
2005年 - 国土交通省総合政策局船員政策課国際企画室長(ジュネーブのILO本部で海事労働条約締結交渉)
2007年 - ジョージ・ワシントン大学ロースクール修了(国際法修士)[要出典]
2008年 - タフツ大学フレッチャースクール修了(国際関係修士)[要出典]
2008年 - 内閣府国際平和協力本部事務局調査官(平和協力分野の人材育成や難民等への人道支援物資供与)[2]
2010年 - 観光庁企画室長(東日本大震災の観光被害からの復旧支援)
2014年 - 関東運輸局企画観光部長(観光広域連携を、全国唯一の空白地帯であった関東に立ち上げ)[4][5]
2015年 - 海上保安庁警備救難部国際刑事課長(密輸摘発等による覚せい剤押収量は通算3.5トンに(課長補佐時代を含む))
2017年 - 内閣府地方創生推進事務局総括参事官(地方創生の予算・人事・総務)
2019年 - 海上保安庁総務部参事官(警備救難の国際業務)
2020年 - 新型コロナウイルス流行初期に、中国・武漢市からの政府チャーター便帰国者が滞在する施設の内閣官房帰国者サポートチーム長に併任
2020年 - 海上保安庁第五管区海上保安本部長[6][7](関西・四国(太平洋側)の海の安全・安心を守る海保の責任者。民間企業とのコラボを推進)
2022年 - 九州運輸局長[8][9](九州の運輸・観光行政の責任者。西九州新幹線開業)
2022年 - 国土交通省を退職
2022年 - 長崎市長選挙に出馬を表明
2023年 - 長崎市長選挙に初当選、4月26日に就任[10]
人物