鈴木みのる
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鈴木実」とは別人です。
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鈴木 みのる
Minoru Suzuki

プロフィール
リングネーム鈴木 みのる
レイ・ミノール
鈴木 実
本名鈴木 実[1]
ニックネームプロレス王
世界一性格の悪い男
「風」
ハマの喧嘩屋
性悪王者
カミソリ・ファイター
身長178cm[1]
体重102kg[1]
誕生日 (1968-06-17) 1968年6月17日(55歳)[1]
出身地神奈川県横浜市[1]西区
所属パンクラスMISSION[2]
サンミュージックプロダクション
スポーツ歴レスリング
剣道
トレーナー山本小鉄
藤原喜明
カール・ゴッチ
ビル・ロビンソン
デビュー1988年6月23日
飯塚孝之[1]
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獲得メダル
男子 レスリング グレコローマン
国民体育大会
銀1986少年81kg級

鈴木 みのる(すずき みのる、本名[1]・旧リングネーム:鈴木 実/読み同じ、1968年6月17日 - )は、日本男性プロレスラー、実業家、総合格闘家神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION[2]サンミュージックプロダクション[3]。グッズ販売やイベント企画・運営を手掛ける株式会社パイルドライバー代表取締役。血液型B型[4]
来歴
新日本プロレス

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横浜高等学校時代はレスリング部に所属[5]国体2位[6] という実績を残して1987年3月に新日本プロレスに入門。
1988年


6月23日、飯塚孝之戦でデビュー。同年10月22日の飯塚戦で初勝利[7]。前座戦線で佐々木健介と幾度となく対戦し好勝負を繰り広げる。

1989年


3月、アントニオ猪木と対戦[7]。同月に新日本プロレスを退団[8]

UWF

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4月3日にUWFと契約[9]

1989年


5月に田村潔司のデビュー戦の相手を務め、UWFでの初白星[10]

1989年


11月29日、骨折した船木誠勝の代役で東京ドーム大会「U-COSMOS」で、モーリス・スミス異種格闘技戦で対戦したが、4ラウンドでKO負け。後に鈴木は「スミスの強さにビビって大観衆の前で泣いて自らリングに寝転がった」と語っている[11]

1991年


3月、UWFを退団。

プロフェッショナルレスリング藤原組

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3月、船木らとプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。
1991年


4月1日、SWSと提携して行われた神戸ワールド記念ホール大会におけるアポロ菅原戦は、試合開始直後から互いに退け合うように鈴木は張り手を菅原は前蹴りを放ちまともに組み合おうとせず、その挙げ句菅原側がセメント行為を仕掛け[12]、その行為に対して鈴木はコーナーに追い詰め頭突きを見舞い菅原はグーパンチで応戦。まともに試合が成立しないほど泥沼の様相に。レフェリーが間に入り、双方の反則に(頭突きとグーパンチ)注意を入れた所でそのジャッジに呆れた菅原がリングを降りて試合放棄した[12][13]

1992年


10月、東京ドーム大会で、ソウルオリンピックのレスリング金メダリスト:ゴベリシビリ・ダビッドと対戦、裸絞めで勝利。

1993年


1月、船木らと共に藤原組を退団。

藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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