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西洋式の釿釿で丸太の皮をはぐ

釿(ちょうな、ちょんな)とは、木工に用いられる工具である。漢字では?、手斧とも表記する。
概要

に似た形状をしたの一種で、斧としては横斧に分類される。が普及する以前は木材の荒削り用として世界各国で使われていた。石器時代から存在する歴史のある工具である。

使用の際は、使用者が材の上に立ち、足元に釿を振り下ろしながら後ずさりすることで、材木を荒削りする。また、大木を刳り抜いて、捏ね鉢、丸木舟などを作る際にも用いられる。臼や丸木舟作りに用いられる釿は「臼彫り」「モッタ」などと呼ばれ、材木削り用のものより柄が短く、片手でも使える。

日本式の釿の柄は主としてエンジュ材を湾曲させたものであり、その先端にのように刃を差し込む。一方、西洋式の釿は、やマトック(英語版)(つるはしの一種)と同じく、直線的な柄に直角に刃をはめ込む。欧米における釿は木材加工以外に老朽家屋の解体にも用いられ、単独の道具ながらあらゆる用途に用いられる[1]
歴史実験考古学でヨーロッパの線帯文土器文化で使われた釿の使用感を確認している様子

考古学民族学の観点からは、一般的な伐採斧や薪割り斧のように刃と柄が平行な斧を「縦斧」(たておの)、釿のように柄と刃が直角に位置する斧を「横斧」(よこおの)と呼ぶ。旧石器時代前期に石を打ち欠いて形を整えた打製石器石斧「握り斧」は、文字通り手で握って使う、柄のない斧だった。これに柄を取り付けることで、刃と柄の位置から「縦斧」と「横斧」の区別が生まれる。
ヨーロッパ

シベリアエニセイ川流域にあるアフォントヴァ山遺跡から発見された2万年前の石斧は、使用の痕跡から横斧と見なせる[2]。ヨーロッパ北部においては、1万年 - 8千年前の中石器時代 前半に当たるマグレモーゼ文化の遺跡から燧石を打ち欠いて作られた打製石器が多数発見されている。その内訳は、岩塊を打ち欠いて残った塊を仕上げた「礫核石斧」の横斧が最も多く、岩の欠片を仕上げた「剥片石斧」や縦斧の数を圧倒している。同時代の北ヨーロッパでは骨斧(骨製の斧)も横斧が優勢である。しかし、8千 - 7千年前のエアテベレ文化期に至って縦斧が優勢となり、その形状も大型化する。これは気候の変化で植生がマツカバ類から広葉樹に置き換わったため、強靭で粘り強いオークなどの木を伐採するため工夫した結果と思われる[3]

新石器時代の縦斧や横斧は、角閃岩玄武岩ヒスイなどを磨ぎ上げて成形した磨製石器で、後のケルトに至る線帯文土器文化やロッセン文明(英語版)の出土物にその痕跡を見ることができる。

ヨーロッパからシベリアに至るユーラシア北部の斧は「横斧」としてスタートしたが、中石器時代後期に縦斧優勢に変化し、それは青銅器時代から現代に至るまで変わらない。
エジプト

古代エジプト文明においては、すでにエジプト古王国の時代より釿が見出せる[4]。当初は石器だったものの、王朝誕生以前には刃の材質が燧石からに置き換わっていた[5]。石製の刃は木製の柄で挟むことで固定するが、金属製の刃はヒツ(柄を差し込むための穴)に柄を通して固定する。そのような古代エジプトの釿を、博物館で見出すことができる[6]

エジプトの古代文字・ヒエログリフには釿を図案化した文字がある。また、ミイラや彫像に牛の脚などの供物を捧げる口開けの儀式(英語版)の折は、神や霊と交信する「祭具」として、釿が重要な役割を果たした[7][8]
オセアニア

白人到達以前におけるオセアニアでは縦斧は殆ど使用されず、大半の地域で横斧が使用されていた[9]ニュージーランドの先住民族・マオリカウリなどの大木を軟玉製の釿で彫りぬいてカヌーを造るほか、丹念な彫刻で装飾した建築を造り上げた。

20世紀の半ばまで石器時代さながらの生活を送っていたニューギニアの高地人には、縦斧のみ使用する部族と、横斧のみ使用する部族がある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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