釧路フィッシャーマンズワーフMOO(くしろフィッシャーマンズワーフ・ムー)は、北海道釧路市にある複合商業施設。名前はサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフに由来し、MOOはMarine Our Oasisの略。
概要釧路フィッシャーマンズワーフMOO(バスターミナル側)釧路フィッシャーマンズワーフMOO(手前がEGG、奥がMOO)
北海道釧路市出身の建築家毛綱毅曠による設計で、商業施設のMOOと全天候型植物園のEGGに分かれる。
開業当初、当時の公社社長が堤清二と縁があり、公社は西武百貨店へ出資を仰いだ。また、施設やテナント出店のコンサルティングを引き受け、西武百貨店自体も外商部を出店していた。
その後、バブル崩壊を契機に年々売上が縮小。西武百貨店の経営離脱やテナントの相次ぐ撤退に至り、一時入居テナントは公共施設と「釧路MOO市場」(地場系の水産店と土産物店・飲食店など)のみとなった。
その後、空き区画にハローワークや釧路市役所の一部部署を移転させた「MOO内庁舎」、テナント区画を数坪程度の面積に小分けさせた屋台街イメージの飲食店フロアを作るなど、施設の空洞化を防ぐ試みが実践されている。
幣舞橋に程近い建物にNHK釧路放送局とSTVがお天気カメラを設置しており、北海道ローカルの情報番組では幣舞橋と対岸のMOOの風景が日頃流されている。不遇にも、釧路市や道東で震度4以上の地震が発生すると、全国ニュース(災害報道など)で幣舞橋とMOOが映された「地震の様子」の映像が放送されることが多い(21世紀に入ってからは、十勝沖地震・千島列島沖地震・東日本大震災で繰り返し放送されている)。
沿革
前史
1968年(昭和43年) 釧路川河畔にショッピングモールを建設・運営する目的で、釧路河畔開発公社設立。開業までは市有地にある駐車場・釧路市内の緑地管理が主な業務内容となる。
1981年(昭和56年) 釧路市内の若手財界人を中心に、観光漁港ショッピングセンター構想発案。遊休状態の倉庫など既存の港湾施設を流用し、コストを抑える内容。
1985年(昭和60年) プロジェクト名称を「新釧路総合計画」に変更。釧路FW推進委員会(釧路市民45名で構成)を発足。「東港区再開発計画(ポートルネッサンス21)」の中核に位置付けされ、「釧路地域商業地域近代化実施計画」との連携も明確化。計画を三段階化。
1986年(昭和61年) 釧路FW推進委員会、「釧路のウォーターフロントにおける広域地域活性化の構想」をまとめる。
1987年(昭和62年)8月 釧路河畔開発公社、北海道東北開発公庫、北海道開発局、北海道庁などで構成する「釧路フィッシャーマンズワーフ研究会」発足。
1988年(昭和63年)フィッシャーマンズワーフの経営・運営に西武百貨店が参画。公社資本金を自治体・北東公庫・民間企業らの第三者割当増資により1億円から4億円に増資し第3セクター化。
本史
1989年(平成元年)7月14日 開業。民活法(民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法)適用第一号。
1990年(平成2年)7月 協立海上運輸(港湾業務を手がける地場企業)が新造高速船のシーグレース号(双胴型、総トン数:190トン、旅客定員:200名、航海速力:20ノット)を用いて釧路港内定期観光航路を就航。
1998年(平成10年) 西武百貨店の西武ショップ(小型売店)および外商部が撤退。公社への出資も引き揚げる。
2002年(平成14年)12月下旬 高速観光遊覧船シーグレース号、航路廃止。神戸シーバス(神戸港)を運営する早駒運輸に売却され、3年余り同クルーズに就航。
2003年 毎年初夏から秋の間まで期間限定で、釧路川に面した広場にて「岸壁炉端」開始。
2003年(平成15年)9月30日 無印良品釧路店閉店。太平洋炭礦の終焉や漁業の衰退など釧路を取り巻く経済情勢の変化から、同年中までにサッポロライオンなど中央(本州)資本のテナント店舗全てが道東地域から撤退(当時)に至る。
2004年(平成16年)3月 釧路市健康推進室(釧路市役所健康推進課)が太平洋興発ビルよりMOO3階フロアへ移転・拡張。
2004年(平成16年) 港の屋台(11区画)開店。
2005年(平成17年)2月22日 釧路河畔開発公社の債務整理(約30億2000万円)に向けた特定調停について、金融機関6行が同意(8割返済免除)。