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やノートページでの議論にご協力ください。針生 宏(はりゅう ひろし[1]、1935年6月2日[1] - )は日本映画のプロデューサー。宮城県仙台市出身[1]。 仙台一高を経て、東京大学経済学部を卒業。1960年に東宝へ入社[1]。東宝撮影所に配属され、映画『慕情の人』より助監督を務める[1]。演出部からテレビ部企画係、文芸部を経て、1971年に東宝映画へ出向。その後東宝テレビ部に移籍。 映画『モスラ』では、チーフ助監督の野長瀬三摩地からの指示で劇中歌「モスラの歌」のインドネシア語歌詞をカタカナに書き起こした[1]。針生は、曲をつける際に歌いやすいよう変えるだろうと考えていたが、完成作品では針生の書いたものがそのまま使われており驚いたという[1]。 公開年月日作品名制作(配給)役職
経歴
映画
1961年2月14日慕情の人東宝助監督[1]
1961年7月30日モスラ
1961年11月22日猫と鰹節 ある詐欺師の物語
1962年2月10日銀座の若大将
1962年7月7日重役候補生No.1
1969年10月10日コント55号 俺は忍者の孫の孫
1970年8月11日激動の昭和史 軍閥製作[3]
1971年7月17日激動の昭和史 沖縄決戦製作[4]
1973年5月12日戦争を知らない子供たち東宝映画
(東宝)製作[5]
1974年9月21日青葉繁れる製作補佐・製作補[6]
1975年2月15日青春の門製作[7]
1977年2月11日青春の門 自立篇製作[8]
1982年2月16日あゝ野麦峠 新緑篇協力製作[9]
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g h モスラ映画大全 2011, pp. 44?47, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 本編助監督 針生宏」