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針 すなお
本名高閑者 順
生誕 (1933-03-15) 1933年3月15日(91歳)
佐賀県佐賀市
国籍 日本
職業漫画家、イラストレーター、武道家
活動期間1956年 -
ジャンル似顔絵、風刺漫画
代表作著名人の似顔絵
受賞第2回日本漫画家協会賞優秀賞(1973年)
第44回文藝春秋漫画賞(1997年)
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針 すなお(はり すなお、1933年3月15日[1] - )は、日本の漫画家、イラストレーター、武道家。本名は高閑者 順(たかがわ すなお)[2][3]。
政治家や芸能人、スポーツ選手など著名人の似顔絵で知られているほか、武道家として、武術「体の杖(たいのじょう)」を創始した。 佐賀県佐賀市出身。生家は旧佐賀藩の菩提寺・高伝寺[2](針自身も住職を務めた[3])。五男。 子供の頃から絵を描くのを好み、実家の寺に届けられた布施の包み紙に絵を描いていた(戦時中で、紙が貴重品であったため)。小学校のクラスで、友達や教師の似顔絵を描いて人気を得た。中学、高校になると漫画を描くようになった。 佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)卒業後、大和紡績での1年間の勤務を経て、漫画家を目指して1952年(昭和27年)に上京[3]するも、生活に行き詰まり、いったん帰郷[2]。佐賀相互銀行に経理係として入社した4カ月後、以前訪問していた経済雑誌を手掛ける出版社から誘いを受け、1953年(昭和28年)、再び上京[3]。その出版社の記者として編集の仕事を手伝いつつ、その会社の系列雑誌のカットやイラストを描く[2]かたわら、キャバレーの看板描きのアルバイトに従事した。また、投稿家として漫画家活動に入り、約5年間、新聞・雑誌の新人漫画欄への投稿や持ち込みを続けた。 新聞の世相風刺コント欄投稿家2人とともに、漫画合作グループ「はりもぐら」を結成するも、すぐに意見の違いから解散。1人で「針もぐら」を名乗って活動した[4]が、漫画家仲間からとがめられ、本名の順(すなお)と組み合わせて「針すなお」と改名。1956年(昭和31年)にプロ漫画家としてデビューした[3]。独立漫画派
略歴
当初は複数ページのナンセンス漫画や大人向けの漫画を手掛けたが、「しっくりこなかった[2]」という。漫画集団の会合で手塚治虫から「似顔絵は苦手なんだよ」と打ち明けられ、「手塚治虫ですら似顔絵で困っている」と自信を得て、1コマの似顔漫画に専念するようになる[2]。
1978年(昭和53年)頃から朝日新聞政治欄の風刺漫画を担当[2]。全国紙では他に産経新聞の人物似顔絵カットを2008年(平成20年)頃まで担当していた[2]。郷里の佐賀新聞には、1994年(平成6年)から政治漫画を連載している[2]。