釜トンネル
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釜トンネル中ノ湯側坑口の銘板

釜上洞門上高地側

初代・2代目トンネル内部
画像提供をお願いします。(2013年6月)

釜トンネル(かまトンネル)は、長野県松本市安曇中の湯長野県道24号上高地公園線上にあるトンネル。著名な観光地である上高地へ通ずる唯一の車道である。

名称の由来は、県道と併走して流れる梓川がこの付近で狭小となり、激流の水しぶきが沸騰する湯けむりのように見えるため釜ヶ淵(かまがふち)と呼ばれていることに因む。
概要上高地の入り口、釜トンネルの中の湯側出口(冬季閉鎖中)同上高地側出口

総延長は1,310 m、幅員は7.0 m(路肩含む)、計画交通量は2,100台/日(うち大型車は800台/日)、設計速度は30 km/hである。最大勾配は10.9パーセントで、トンネル両端での標高差は約100 mにも及ぶ。トンネル南側の国道158号との分岐点には、県道を冬季通行止めとするためのバリケードがある。現在のトンネルは、旧道[1]の代替ルートとして2002年平成14年)から2005年(平成17年)にかけて建設された。「国土地理院ウォッちず」「電子国土ポータル」のサイトで公表されている地形図では工事時期の違いによる釜トンネルと釜上トンネル[2]の記載がある。
歴史

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釜トンネル (1927年 - 1937年)

1927年昭和2年)から1937年(昭和12年)まで供用された。本記事では便宜的に「初代」と呼称する。

1915年大正4年) - 焼岳噴火し、それにより大正池ができる。その後、大正池を利用した水力発電所の計画が持ち上がる。

1926年(大正15年) - 長野市梓川電力(接収後日本発送電東京電力へ分割)が大正池を取水源とする霞沢発電所の建設に着手した。当初は導水路建設のための工事資材運搬用の軌道として梓川沿いの急峻な岩崖に道が通され、その最も急峻な釜ヶ淵を避けて隧道がすべて手掘りで建設された[3]。これが最も古い釜トンネルで、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「古釜」の俗称がある。[要出典]

1927年(昭和2年)に工事が完了[4]し、軌道を整理して自動車道として開通。開通した当初の釜トンネルは長さ320 m、幅と高さは2 mそこそこだったといわれる[5](発電所は1928年〈昭和3年〉11月運用開始)。

1933年(昭和8年) - 私道から県道へ移行[6]、「松本槍ヶ岳線」の一部に指定された。また、乗合バスが大正池まで運行を開始した(小型バスが通行できるように拡幅された)[7]

1934年(昭和9年)- 中ノ湯側の坑口付近で大規模な土砂崩れが発生した[8]

1935年(昭和10年) - 乗合バスが河童橋まで運行[9]

釜トンネル (1937年 - 2005年)

1937年(昭和12年)から2002年(平成14年)まで全域が供用され、2005年(平成17年)にすべて使われなくなった。本記事では便宜的に「2代目」と呼称する。

1937年(昭和12年) - 土砂崩れ対策のため、中ノ湯側に新たな坑口を開いて約270 mを掘削し、途中で初代・釜トンネルと接続させた。この結果、トンネル全長は約520 mとなり、初代・釜トンネルの50 mほどが廃道となり、釜トンネル内に急カーブが生じた[10]

日中戦争開戦にともなうガソリン統制などで、バスの運行中止[11]太平洋戦争大東亜戦争)の戦時下において、トンネルを松根油工場とする計画があった[12]。このころは、冬のトンネル内は暖かく、天候などの状況によってはビバークする人もいた[13]


1950年(昭和25年) - 改修して幅員・トンネル高とも3.2 mになった[14]

1964年(昭和39年)3月 - 3人の犠牲者を出す雪崩釜ヶ渕堰堤付近で発生。これを契機にトンネルの上高地側坑口にスノーシェッドが設けられた。その後スノーシェッドとロックシェッドは年々延長され、上高地側の延長は455.3 m、中ノ湯側の延長は226 mとなった[15]。ロックシェッドは、上高地側は「釜上洞門」、中ノ湯側は「釜下洞門」と呼ばれる。

その後、上高地への観光客や登山客はさらに増加し、大量の通行の要請に対応するため、舗装照明設置、トンネル内改修、ロックシェッドの延長などの改良工事が近年まで頻繁に行われた。しかし、梓川の氾濫による崩落や、自然崩落も相次いでいた。

改修を重ねてもトンネル内の幅員は4.3 mと狭小で、さらにトンネルの傾斜は最大16.5 %と現在よりも急勾配であり、トンネル内にクランク状の急カーブが存在するなどしていたため、トンネルの前後に信号機を設置して時間を区切った交互通行とせざるを得ず、長時間の信号待ちが生じて激しく渋滞した。

1975年(昭和50年) - 7月と8月にマイカー規制を開始した[16]。それでもなお15分ほどの信号待ちが起こることもあった。

1996年(平成8年) - マイカー規制が通年に拡張された[16]

釜トンネルを通過するために特別に車高を低く、ホイールベースを短く抑えて発注した『上高地仕様』の大型観光バスが存在した。


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