金隈遺跡(かねのくまいせき)は、福岡県福岡市博多区大字金隈字日焼に所在する弥生時代の共同墓地である。1972年(昭和47年)5月17日、国の史跡に指定される。 本遺跡は、月隈丘陵南側、標高30メートルに位置している。本遺跡の西2キロメートルほどのところに板付遺跡があり、また、南西3キロメートルのところに岡本遺跡がある。本遺跡は、弥生時代前期から後期にわたる一大共同墓地である。 1985年(昭和60年)3月から、甕棺墓群を屋根で覆い、金隈遺跡史跡公園として公開されている。 1968年(昭和43年)農道建設の際、甕棺片が偶然発見された。同年事前調査が行われ、翌年から2カ年にわたり発掘調査が実施された。その結果、300基に及ぶ弥生時代の共同墓地であることが明らかになった。丘陵上の本遺跡からは、弥生時代前期末から後期初頭の甕棺墓348基、土壙墓119基、石棺墓2基が見つかっている。 103号甕棺墓から人骨右手にゴホウラ製貝輪2個、磨製石鏃1個、30号甕棺墓から滑石製丸玉1個が出土した。97号甕棺墓から人体に突き刺さされた磨製石鏃の鋒先2個が出土。折れて残ったと推定されている[1]。 甕棺墓の中に遺っていた多数の人骨の形質人類学的観察からは、男性人骨の平均身長は161.2センチメートル、女性人骨の平均身長は151.1センチメートルで、平均死亡年齢は40歳代であることが判明した。その他、風習的抜歯例が男女で2例あり、それは上顎犬歯を抜く縄文文化の特徴を残している。
目次
1 概要
2 発掘調査
3 副葬品
4 人骨
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
概要
発掘調査
副葬品
人骨
脚注^ 稲作農耕が発展する時期の戦いが知られる資料である。
参考文献
橋口達也「金隈遺跡」/文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版 1991年 ISBN 978-4-8104-0925-3
関連項目
弥生時代の遺跡一覧
外部リンク
⇒国指定文化財等データベース(文化庁)
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更新日時:2012年4月8日(日)00:21(日時は
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