金薫
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金 薫
誕生 (1948-05-05)
1948年5月5日(70歳)[1]
南朝鮮ソウル市[1]
職業小説家[1]
言語朝鮮語
活動期間1994年[1] -
ジャンル小説
代表作『刀の詩』
主な受賞歴東仁文学賞(2001)
李箱文学賞(2004)
デビュー作『??????? ?? (櫛目紋土器の追憶)』[1]
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金 薫
各種表記
ハングル:??
漢字:金 [2]
発音:キムン
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金 薫(キム・フン、1948年5月5日 - )は、韓国小説家ジャーナリストエッセイスト、自称・自転車レーサー[3]。金の代表作である『?? ?? (刀の詩/孤将)』は韓国で50万部[3]を超えるベストセラーとなり、日本語フランス語スペイン語中国語などに翻訳もされている。
目次

1 略歴

2 年譜

3 代表作品

4 日本語で読める作品

5 脚注

略歴

1948年5月5日ソウル市鍾路区清雲洞に生まれた。父は金光洲、母は鄭戊順。4人兄弟の3番目の子であった。父、金光洲は小説家で、朝鮮独立運動活動家の金九尹奉吉とも親交があった。光復後は『京郷新聞』の文化部長、編集部局長を務めたが、父が病床の中、金は父の代筆をするなど、父の元で自然と小説の修養を成していったという。

1966年高麗大学校政治外交学科に入学。大学2年のとき、バイロンメアリー・シェリーなどロマン主義に傾倒して英文学に心惹かれるようになって、大学も中退して、英文科に転学した。1973年、義務兵役を終えて復学した金は、父の死亡により経済的な困難に陥った。また当時の大学が学生運動で混乱していたこともあり、金は大学の卒業を諦めて、韓国日報社に入社した。

新聞記者時代の金は「文学紀行」と題した評論を『韓国日報』に連載するなど、文学活動もしていたが、1989年、突然韓国日報社を退社。約2年ほど、特に継続した仕事もなく過ごし、その間に『??? ?? (選択と擁護)』『??? ?? (風景と傷)』の2冊のエッセイを発表した。

1994年、『??????? ?? 1 (櫛目紋土器の追憶1)』(『文学トンネ』1994年冬創刊号)、1995年、『??????? ?? 2 (櫛目紋土器の追憶2)』(『文学トンネ』1995年春号)を発表し、47歳で文壇にデビューした。

作家となってからも『時事ジャーナル』の編集局長を務めるなど、ジャーナリストとしての活動も続けていたが、2000年9月27日付の『ハンギョレ21』に掲載されたインタビューが物議を醸したことから、『時事ジャーナル』を辞めて、執筆活動に専念。代表作となる『?? ?? (孤将)』を、2001年に発表した。当作品は韓国でベストセラーとなり、同年の東仁文学賞を受賞した。その後は再びマスコミ業界で活動しつつ、小説やエッセイの執筆しているほか、趣味の自転車やツーリングに関する書籍も書いている。

2004年李箱文学賞受賞。
年譜

1948年5月5日、
ソウル市鍾路区清雲洞に生まれる。

1960年、敦岩初等学校を卒業。

1963年、徽文中学校を卒業。

1966年、徽文高等学校を卒業。

1966年、高麗大学校政外科に入学。

1968年、高麗大学校英文科に転学。

1970年、入軍。(?1973年)

1973年、高麗大学校を中退。

1974年、李燕和と結婚する。

1995年、『時事ジャーナル』の編集局長の代理を務める。(後に編集局長)

1995年、文壇にデビュー。

1996年、『TVジャーナル』の編集局長を務める。

1998年、『国民日報』出版局局長を務める。

2000年、『時事ジャーナル』を退社。

2001年、第32回東仁文学賞を受賞。

2002年、ハンギョレ新聞社に入社。

2002年、第18回ソウル言論人クラブ言論賞企画取材賞を受賞。

2004年、第28回李箱文学賞を受賞。

2005年、第5回黄順元文学賞を受賞。

2007年、第15回大山文学賞を受賞。

代表作品

1994年、??????? ?? 1

1995年、??????? ?? 2

2000年、??? ??

2001年、?? ??

2003年、??

2004年、?? ??

2004年、??? ?? 2

2005年、??? ??

2005年、?-? ??? ???? ??

2006年、????

2007年、????

日本語で読める作品


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