『金色のライオン』
岡林信康 の スタジオ・アルバム
リリース
1973年11月21日 (1973-11-21)(LP)
録音
1973年8月28日 (1973-08-28) - 30日
CBSソニースタジオ、ストーンエイジスタジオ
ジャンルフォーク
時間50分31秒
レーベルCBS・ソニー
プロデュース松本隆
チャート最高順位
最高15位(オリコン)
登場17回(オリコン)
売上4.4万枚(オリコン)[1]
岡林信康 アルバム 年表
岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き
(1971年 (1971))
金色のライオン
(1973年 (1973))
1973PM9:00→1974AM3:00
(1974年 (1974))
『金色のライオン』収録のシングル
「26ばんめの秋」
リリース: 1973年11月21日 (1973-11-21)
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『金色のライオン』(きんいろのらいおん)は、岡林信康が1973年11月21日にCBS・ソニー移籍後初めて発表したスタジオ・アルバム。 レコーディングのきっかけは、友人の高木元照
解説
それまでの自分が虚勢を張り無理を重ねてきたかを自己分析して、深層心理に眠っていたアクを表出させようと、ボブ・ディラン的手法を消化して岡林流に試みたアルバム[3]。
9月になると農繁期で岡林が忙しくなるというので、8月28?30日の3日(最後の30日はトラック・ダウン)で作られた[2]。
「岡林の歌を聴いてほしいという気持ちが強く、岡林自身も歌は一発でやりたいと望んだため、全部演奏と同時録音です」と高木が言うように[2]、ほとんどがスタジオ・ライヴ的一発録りで、わずか三日間で完成[3]。 全作詞・作曲:岡林信康 「詩のわかる音楽家だから、プロデューサーは松本隆に頼もう」となった[2]。 岡林の「ボブ・ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』みたいな感じに作りたい」との意向を反映して、ウエスト・コースト・サウンド志向の演奏者を、松本隆が集めた[2]。
収録曲
Side A
あの娘と遠くまで ? (4:34)
君の胸で ? (3:17)
まるで男のように ? (6:38)
ホビット ? (7:27)
米軍基地の反戦的な兵士が出入りする喫茶店を岩国に作りたいと、その喫茶店の名前が「ホビット」で、この喫茶店を作る大工工事に岡林も参加している。今でも当時作った椅子が店内にあるという[4]。
「友よ」などの岡林の曲が左翼的運動のデモの行進曲になったり、岡林がそのシンボルみたいになったことが嫌で苦しんだ経験からできた曲。政治というものでは何も解決しないと思ったから、人と自然の関係を考えるために田舎で暮らし始めたが、政治的シンボルに祭り上げられた記憶は残っており、引きずってる中、ある晩そのことに葛藤してる夢を見た。そのことが歌の元になっている[4]。
夢は長いので、ラップ的になり、ボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」「追憶のハイウェイ61」「マギーズ・ファーム
当初は「追憶の国道六十九号線」というタイトルだった[5]。
ユダヤの英雄盗賊バラバ ? (3:15)
Side B
黒いカモシカ ? (7:17)
見捨てられたサラブレッド ? (6:04)
どうして二人はこうなるの ? (2:44)
金色のライオン ? (4:53)
26ばんめの秋 ? (4:24)
このアルバムの中で、一番目にできた曲[4]。
レコーディング・メンバー
ミュージシャン
唄、ギター ? 岡林信康
ギター ? 伊藤銀次(ココナツ・バンク)
ベース・ギター ? 後藤次利(新六文銭)
キーボード ? 矢野誠(ムーンライダーズ)[6]
鈴木紙
助川健
発売日レーベル規格規格品番備考 [脚注の使い方]
1973年11月21日 (1973-11-21)CBS・ソニーLPSOLL 52
1990年9月15日 (1990-09-15)ソニー・ミュージックCDCSCL 1249CD選書シリーズ。初CD化。
2006年4月5日 (2006-04-05)GT musicCDMHCL 764“70's FOLK 8選”シリーズ。2006年 (2006)デジタルリマスター盤、紙ジャケット仕様。
2012年10月1日 (2012-10-01)デジタルダウンロードAAC-LC 320kbps
関連項目
1973年の音楽
脚注
^ 「オリコンチャートブック〈LP編(昭和45年‐平成1年)〉」ORICON BOOKS、1990年5月1日、101ページ。
^ a b c d e 「フォークアンドポップスvol.8」全音楽譜出版社、20-21頁