金粉ショー
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金粉ショー(きんぷんショー)とは、金粉を全身に塗布してダンスなどを行うパフォーマンスである。
歴史
戦前

1909年にはヨーロッパで、女性の全身を金色に塗る「ゴールデン・ビーナス」のショーが行われていたという記録がある[1]

1934年(昭和9年)、吉本興業ニューヨークからアメリカレヴュー団「マーカス・ショー」(ダニー・ケイも在籍)を招き、日本劇場で公演を行ったという。中でも美人ダンサーのミス・ハッチャが銀粉を全身にまぶしたブロンド・ビーナスは男性の聴衆から大盛況であったという[2]寺田寅彦は1934年のマーカス・ショー来日公演を見て「健康によくないであろう」という感想を残した[3]
戦後

戦後の1960年代から1970年代にかけて、日本国内のキャバレーで金粉ショーが上演されるようになる。暗黒舞踏の創始者・土方巽が弟子たちをキャバレーに派遣する際、演目として上演させ、唐十郎李礼仙夫妻金粉ショーで有名となり、各地を回って稼いだ資金で、紅テントを購入したという[4]。1969年(昭和44年)には福島県磐光ホテルで、土方巽の弟子らで結成した金粉ショー舞踊団「セブンスター」の演出で使用する松明が原因で火災事故が発生している。

その後はキャバレーやストリップの衰退や、温泉での金粉ショーの減少に伴い、大須大道町人祭[5]野毛大道芸など、大道芸の一形態として路上で披露されることも増えた。21世紀になってからも、舞踏家集団の大駱駝艦やささらほうさらが金粉ショーを行っている。ダンサーの秋風リリーは別府の芸術フェスティバルに参加した後、ビキニを付けた金粉ショーを披露している[6]

なお、「金粉を塗ると皮膚呼吸が妨げられるため命に関わり、わずかな時間しか踊ることができない」 と長い間まことしやかに語られてきたが、根拠のない都市伝説だと言われている。映画『007 ゴールドフィンガー[7]の中で、敵方の女性が全身に金粉を塗られた結果死亡するシーンもある。「皮膚呼吸#ヒトの皮膚呼吸にまつわる諸説」も参照
金粉シーンがある映画

電送人間(1960年)

007 ゴールドフィンガー(1964年)

007 カジノ・ロワイヤル

三つ首塔

残酷・異常・虐待物語 元禄女系図(1969年)

少林十八銅女(1978年)

残虐13大淫魔術(1995年)

毒婦マチルダ(1998年)

あらかじめ失われた恋人たちよ(1971年)

脚注^20世紀の"裏"ショービジネス 日本の金粉ショーの歴史【前編】
^わろてんか-マーチン・ショウのモデルはマーカス・ショー
^マーカス・ショーとレビュー式教育 寺田寅彦、初出『中央公論』1934(昭和9)年6月、青空文庫
^ “金粉ショー”. 2022年7月28日閲覧。
^ “ ⇒大須大道町人祭”. 2022年7月28日閲覧。
^ “ ⇒会場別アーティスト一覧”. 2022年7月28日閲覧。
^ “The Goldfinger Phenomenon”. 2020年4月17日閲覧。

関連項目

暗黒舞踏

土方巽 / 大駱駝艦

11PM

状況劇場

磐光ホテル

外部リンク

大須大道町人祭

野毛大道芸

大駱駝艦


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