金町村
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この項目では、東京都葛飾区の町名について説明しています。その他の用法については「金町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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金町
町丁
JR金町駅
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分09秒 東経139度52分15秒 / 北緯35.769142度 東経139.870825度 / 35.769142; 139.870825
座標位置:金町駅南口付近
日本
都道府県 東京都
特別区 葛飾区
地域金町・新宿地域

人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口18,003 人
 世帯数9,979 世帯

面積[2]
 1.083731151 km²
人口密度16612.05 人/km²
設置日1932年昭和7年)10月1日
郵便番号125-0042[3]
市外局番03(東京MA[4]
ナンバープレート葛飾
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ウィキポータル 東京都
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金町(かなまち)は、東京都葛飾区の地名。住居表示実施済み。現行行政地名は金町一丁目から六丁目。

金町という名称には広義での呼ばれ方と狭義での呼ばれ方が存在する。狭義での金町は、当町域のみを示す場合であり、広義での金町は住居表示が実施される前の金町全体を示して呼びその対象は金町駅の南北にある金町・東金町を併せて全体を呼ぶ場合とに使い分けて呼ばれている。
地理

葛飾区の北西部、金町駅の南に位置する。市街地住宅地が殆どを占める。北で東金町一・三・六丁目、東で江戸川を挟んだ対岸に千葉県松戸市中矢切、南で金町浄水場及び柴又二・三丁目、西は新宿三・四・五丁目に隣接する。
地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、金町2-18-3の地点で34万7000円/m2、金町5-33-4の地点で35万8000円/m2となっている[5]
歴史

本節では葛飾区の前身の一つである南葛飾郡金町について記す。

金町は古くは金町郷といい、下総国香取神宮領の中心地として栄え、古利根川沿いの鎌倉街道に面した町屋が形成されていた。その後、金町屋と呼ばれていた時期を経て後に金町村になる。応永5年(1399年)の『葛西御厨注文』、永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』に地名が載り、中世には葛西神社(香取宮)が香取神宮造営の役所をつとめたと「香取文書」に記述がある[6]

かなまち
金町
廃止日1932年10月1日
廃止理由編入合併
新宿町本田町亀青村南綾瀬町、金町、水元村奥戸町東京市葛飾区
現在の自治体葛飾区
廃止時点のデータ
日本
地方関東地方
都道府県東京府
南葛飾郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口9,370人
国勢調査1930年
隣接自治体【東京府】
南葛飾郡新宿町、奥戸町、水元村
千葉県
東葛飾郡松戸町市川町
金町役場
所在地東京府南葛飾郡金町大字金町
座標北緯35度46分10.9秒 東経139度52分7.6秒 / 北緯35.769694度 東経139.868778度 / 35.769694; 139.868778 (金町)
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南葛飾郡金町にあたるのは、金町・金町浄水場の全域と、東金町(二丁目を除く)、柴又(四・五・六・七丁目)である。
古墳時代から近世まで

古墳時代には既に拓けていたと考えられており、古墳時代の遺物は半田稲荷神社(東金町4-28-22)・金町浄水場工事現場ほか各所から発見され、同時代にはかなりの集落が散在し、人々が住みついていたことが窺える。時代を下り、飛鳥・奈良時代の711年(和同4年)に半田稲荷神社が、平安時代1185年元暦2年)には葛西神社が創立されており、これら時代にはある程度の大きさのとなっていた。室町時代の1325年(正中2年)に記された「三浦和田文書」には「下総国金町郷」として地名としての金町の記述が見られる[7]

江戸時代初期の1612年慶長17年)には江戸幕府により水戸道中の要所として江戸川の渡舟場を利用した関所である「金町松戸御関所」(葛飾区東金町8-23)が武蔵国金町村(幕府領)に設置され、以後1869年明治2年)に関所廃止まで江戸幕府の防備上の機能を果たした。また1822年文政5年)の『駅逓志』の記録によれば、五街道・四往還のうち東海道・奥州道中に次ぐ三番目の交通量があり、宿場に常置する伝馬の人数も五街道と同数とあり、かなりの重要な役割を担っていた[8]
沿革

1869年明治2年)1月13日 - 廃藩置県で小菅県の設置により、小菅県 南葛飾郡金町村となる。

1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により品川県、東京府(第1次)と合併し、東京府(第2次)の発足に伴い、東京府 管下第十一大区四小区 金町村となる(大区小区制)。金町村役場は現在の第一病院の隣(現葛飾区東金町4-2)に置く。

1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、金町村、柴又村が合併し、行政村としての東京府 南葛飾郡 金町村が発足。

1925年大正14年)8月6日 - 金町村が町制施行の上、金町に改称する。金町役場を現在葛飾区金町子どもセンターとなる場所に置く。

1932年昭和7年)10月1日 - いわゆる「大東京市」設置に伴い、南葛飾郡全域が東京市に編入。金町の区域は葛飾区となり、東京府東京市葛飾区 金町となる。「行政町」としての金町はこの時に消滅し、「区画」としての金町(旧一丁目?旧六丁目)と柴又町とになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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