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かなだ よしのり金田 伊功
プロフィール
生年月日 (1952-02-05) 1952年2月5日
出身地 日本・奈良県
没年月日 (2009-07-21) 2009年7月21日(57歳没)
出身校専門学校東京デザイナー学院のアニメ科(現:専門学校東京クールジャパン)
職業アニメーター
キャラクターデザイナー
活動期間1970年 - 2009年
ジャンルアニメーション
受賞第13回文化庁メディア芸術祭特別功労賞
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金田 伊功(かなだ よしのり、1952年〈昭和27年〉2月5日 - 2009年〈平成21年〉7月21日)は、日本の男性アニメーター。奈良県出身。
「伊功」は「いこう」と読まれることもある。別名義に当初は誤字だったものを使用した「金田伊助」や、スクウェア・エニックス在籍中に他社仕事の際に使った「戸隠三郎」がある。 航空自衛隊パイロットだった父親を見て育ち、自分もその道を熱望していたが、視力が悪く断念する。この時に映画『空飛ぶゆうれい船』の宮崎駿の作画に衝撃を受け、アニメーション業界を志すきっかけとなる。高校2年生の時のノートには、当時好きだったテレビアニメ『アタックNo.1』のヒロイン・鮎原こずえのイラストが多数描かれており、当時からプロレベルに近い画力であった[1]。 アニメの通信教育を経て専門学校東京デザイナー学院のアニメ科(現:専門学校東京クールジャパン)で学び、東映動画(現・東映アニメーション)の契約社員となる。1970年に同社のテレビアニメ『魔法のマコちゃん』で動画デビュー。東映動画を退社後、荒木伸吾のフリー集団のスタジオZ(第1期)[2]、野田卓雄のスタジオNo.1を経て1976年にスタジオZ(第2期)[3]、1980年にスタジオNo.1を結成して活動。1974年に野田が作画監督を担当した『ゲッターロボ』で原画として活躍してから1970年代半ばから『大空魔竜ガイキング』、『惑星ロボ ダンガードA』などの東映動画のロボットアニメ、『超電磁マシーン ボルテスV』のオープニングアニメに始まる日本サンライズ(現・サンライズ)での『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』といったロボットアニメや『サイボーグ009』のオープニングアニメ、『くじらのホセフィーナ』の第03話、第20話で注目を集める。 1980年代前半には『銀河旋風ブライガー』[4]などのJ9シリーズ、『魔境伝説アクロバンチ』や『機甲創世記モスピーダ』などでオープニングアニメーションの仕事をし、山下将仁など金田の影響を受けたアニメーターを輩出した[5]。1979年の劇場版『銀河鉄道999』以来、アニメ映画の仕事が増え『サイボーグ009 超銀河伝説』『ヤマトよ永遠に』『地球へ…』『宇宙戦艦ヤマト 完結編』『幻魔大戦』『オーディーン 光子帆船スターライト』などのアニメ映画に参加してメカ作画やエフェクトアニメを担当するようになった[6][7]。それらの作品の中には「スペシャルアニメーション(「幻魔大戦」におけるクレジット)」や「メカニック作画監督」と金田のために特別な役職まで設けられたものもあり、スターアニメーターとも言える地位を築いて[5][8]、当時のアニメ雑誌では機会があるごとに金田の情報を取り上げた[9]。熱心なアニメファンの中には金田を主役にした自主制作アニメを制作するグループまで現れた[10]。1980年代半ばになるとスタジオジブリの宮崎作品の常連になり、主にアニメ映画の仕事をこなすようになっていった[11][12][13]。 1998年から劇場作品『ファイナルファンタジー』の制作に参加[14]したのをきっかけにスクウェアに入社し、スクウェア・エニックスの旧第7開発事業部所属の社員としてゲームのムービー制作を担当していた。この時期は日本を離れてハワイに滞在しており[15][16]、日本での仕事をしていない。 渡米前にはスパロボ系同人誌を発行する同人サークル「スタジオザルツウェルツ」にも参加している。 映画『ファイナルファンタジー』の仕事を終えて、日本への帰国後はスクウェア・エニックスの開発推進部に所属して2002年発売の『ファイナルファンタジーXI』、2003年発売の『半熟英雄対3D』、2005年発売の『半熟英雄4 7人の半熟英雄』、『武蔵伝II ブレイドマスター』など同社のゲームのオープニングアニメやキャラクターの3Dモーションを担当。中でも『半熟英雄対3D』のささきいさおの歌うテーマソングに合わせて往年の金田びかり、金田パース(後述)が炸裂するオープニングムービーは話題を呼んだ[16]。
生涯