金沢競馬場
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金沢競馬場
金沢競馬場 入場ゲート
施設情報
所在地石川県金沢市八田町西1番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度38分11.2秒 東経136度40分29.1秒 / 北緯36.636444度 東経136.674750度 / 36.636444; 136.674750座標: 北緯36度38分11.2秒 東経136度40分29.1秒 / 北緯36.636444度 東経136.674750度 / 36.636444; 136.674750
所有者石川県、金沢市
管理・運用者石川県競馬事業局
金沢市
収容能力15.000人
コース
周回右回り
馬場ダート(1周1200m)
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金沢競馬場(かなざわけいばじょう Kanazawa Racecourse)は、石川県金沢市八田町西にある地方競馬競馬場。石川県(石川県競馬事業局)と金沢市がそれぞれ別々に主催者として開催している[注釈 1]通称は金沢競馬。オッズパークD-Net加盟競馬場。
概要金沢競馬場付近の空中写真。北西側に見える水面は河北潟である。1975年撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

現在、本州日本海側および北陸地方唯一となる地方競馬場で、その立地から来る低温な気象条件から、1月から3月上旬までは開催されていない。また、日曜開催があるため[注釈 2]中央競馬への遠征が少なく、騎手の知名度はあまり高くないため、しばしば波乱の立役者となっている。

現在の金沢市入江・新神田周辺にあった旧金沢競馬場[1]1973年、現在地に移転した。

2005年5月22日にスタンドのゴール前付近に席(約14畳)が設けられた。場内の大型モニターと着順掲示板には屋根が施されている。

地元専属の実況はおらず、耳目社所属のアナウンサーが実況を務めている。競馬新聞は4紙あるが、いずれも冊子形式となっている。トータリゼータシステムは日本トーターである。

なお1995年11月20日までは前半5レースが8枠制で連勝複式を発売。第6レース以降は6枠制で連勝単式の馬券を発売するという特殊な発売方式であった。1995年11月26日以降、他場にならって全レース8枠制で連勝複式の発売に統一された。

金沢競馬場は緊急避難場所に指定されており、2017年度から2年をかけてスタンド棟の耐震改修工事が行われている(工事期間中も競馬は開催)[2]

2021年に金沢競馬場で行われた第21回ジャパンブリーディングファームズカップに向けて、シーズン前に場内やパドックの改修工事などが行われ、馬場の砂も以前の富山県の川砂から愛知県の山砂に全面入れ替えとなった。[3]

メインスタンド全景

メインスタンドより臨むコース

大型ビジョンおよび着順掲示板。それぞれの屋根には瓦が葺かれている

パドック。奥は河北潟

メインスタンド端より。向かって奥に厩舎地区、左はパドック、右は本馬場へ繋がる

コース

1周1200mで幅員は20m、砂厚8cm、右回りのダートコースで高低差はなく、直線距離は236mとなっている。ポケットが4か所にあるのが特徴。

重賞は2100m以上の長距離のレースが約半分を占めている。

施行できる距離は900m、1300m、1400m、1500m、1700m、1900m、2000m、2100m、2300m、2600m。

このうち2000mは、2005年5月8日に行われた第17回JTB賞を最後にしばらく使用されていなかったが、2012年4月10日に行われた第22回スプリングカップで約7年ぶりに使用された。その一方で、1300mは2018年8月21日を最後に、2300mは2015年6月14日を最後に使用されていない。
沿革

1931年昭和6年) - 石川郡戸板村(現在の金沢市入江・新神田付近)に競馬場開設。石川県畜産組合連合会の主催で行われる(1938年まで)。

1939年(昭和14年) - 軍馬資源保護法により軍用保護馬鍛錬競走を開始(1943年まで)。

1947年(昭和22年) - 地方競馬法1946年制定)により石川県馬匹組合連合会の主催で行われる(1948年まで)。

1948年(昭和23年) - 競馬法制定により石川県主催による競走が開催される(開催初日9月23日)。

1954年(昭和29年) - 金沢市が主催者として新たに加入(開催初日9月27日)。

1956年(昭和31年) - 輪島市外六ヶ町村競馬組合設立。奥能登地域の水害復興競馬が開催される。

当初の競馬組合加入市町村は輪島市町野町穴水町鵜川町柳田村門前町能都町の7市町村。その後、合併により輪島市と穴水・門前・能都・柳田の5市町村が加入する(名称も輪島市外四ヶ町村競馬組合に変更)。


1965年(昭和40年)8月2日 - 競馬組合に珠洲市内浦町津幡町が加入し、輪島市外七ヶ町村競馬組合に改組。

1970年(昭和45年)3月 - 輪島市外七ヶ町村競馬組合廃止。以降、石川県と金沢市の主催で行われる。

1972年(昭和47年)12月4日 - 金沢市八田町に移転[4](翌年4月7日から開催)。

1978年(昭和53年) - 前売発売を開始。

1995年平成7年) 11月20日 - 第6レース以降の6枠連単制廃止、全レース8枠連複制へ移行。

2007年(平成19年) - 愛称にKANAZAWA Horse Park(カナザワホースパーク)を採用。この年度より個人・企業による個人協賛競走を導入。

2013年(平成25年) - 第13回ジャパンブリーディングファームズカップを開催[5][6]。GIクラスの重賞競走が開催されるのは競馬場開設以降初めて。

2021年令和3年) - 第21回ジャパンブリーディングファームズカップを開催。

2023年(令和5年) - 走路照明22基を新規に設置し、薄暮競走を通年実施[7]

しかし、同年11月19日の薄暮競走で人為的ミスにより場内照明が全消灯する事故が発生し、競走不成立となった(後述)。


2024年(令和6年)

1月1日 - 能登半島地震の影響により場外発売及び払戻しを当面中止[8]

1月15日 - 外向発売所での払戻業務を再開[9]

2月3日 - 外向発売所での場外発売を再開[10]

2月17日 - 競馬場内への入場再開[11]

3月10日 - 通常営業再開[12]


J-PLACE金沢

2013年4月14日より場内において、日本中央競馬会からの委託により「J-PLACE金沢」としてJRAの馬券を発売している。払戻は金沢を含む全国のJ-PLACE施設でのみとなる。


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