金沢次男
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金沢 次男基本情報
国籍
日本
出身地茨城県常陸太田市
生年月日 (1958-12-18) 1958年12月18日(65歳)
身長
体重186 cm
87 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1981年 ドラフト5位
初出場1982年4月4日
最終出場1995年8月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


茨城県立佐竹高等学校

三菱自動車川崎

横浜大洋ホエールズ (1982 - 1985)

日本ハムファイターズ (1986 - 1989)

ヤクルトスワローズ (1990 - 1994)

千葉ロッテマリーンズ (1995)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

金沢 次男(かなざわ つぎお、1958年12月18日 - )は、茨城県常陸太田市出身の元プロ野球選手投手)。
来歴・人物

中学1年次でゴルフを始め、当初はプロゴルファー志望だったが、佐竹高在学時にその運動能力を野球部顧問に認められ、野球を始める。

高校卒業後は、社会人野球三菱自動車川崎に進み、1981年都市対抗野球に控え投手として出場。

1981年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。

1982年は、プロ初登板から5月2日の対ヤクルト戦まで26回1/3連続イニング無失点を記録。この試合では4回表二死満塁の場面で救援登板し無失点に抑えるも5回表先頭の角富士夫に3号本塁打を打たれプロ初失点となった[1]。速球と大きく曲がり落ちるカーブを武器に、1983年1984年と2年連続10勝を挙げるなど、遠藤一彦に次ぐ2番手の先発投手として活躍。監督の関根潤三から、口元から銀歯が見えたのと名前の『次男』から「銀次」のあだ名をつけられた[2]。しかし翌年の1983年10月22日、後楽園球場での巨人戦で堀内恒夫の現役最終打席となる8回、堀内に本塁打を打たれた。堀内から試合後に「カラ振りしようと思ったのに、ホームランになっちゃって。相手はこれからの投手なのに悪いことしたかな」[3]とコメントされている。

1986年大畑徹と共に木田勇高橋正巳との交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。1986年にも10勝を記録する。

1989年は1勝に終わり12月6日、球団から「他球団にトレードを打診したが話がまとまらなかった」として戦力外通告を受ける[4]。弱体の投手陣のヤクルトスワローズから獲得の意思があり、無償トレードでの移籍が決まった[5]

1990年、プロ入り初めて先発無しのリリーフ専任なったが、ショート、ロングリリーフ問わない登板やセーブシチュエーションでも登板し自己最多の5セーブを記録した。

1991年は僅か4試合の登板でプロ入りして初となる未勝利に終わる。この頃にサイドスローに転向する。

1992年1993年はヤクルトの2年連続優勝に貢献。殆ど中継ぎだったが、ローテーションの谷間で先発するなど随所で存在感を発揮。日本シリーズにも登板した。大洋、日本ハム時代は優しい性格をカバーする為に、パンチパーマに口ひげという風貌だったが、ヤクルトではひげを生やすのが禁止されていたために剃り落とし、眼鏡をかけていた。

1992年8月9日深夜に自宅近くをランニング中に痴漢を発見し、その場で取り押さえ警察から感謝状をもらったことがある。

1995年千葉ロッテマリーンズに移籍し、同年限りで現役を引退。日本ハムから勝利を挙げれば史上3人目の全球団勝利だった。8月18日にはその日本ハム戦に先発の機会を与えられたが初回に援護点をもらったが、次の回から降板する4回まで全て失点してしまい負け投手となった。武器はスライダー、カーブ、シュート。引退後はゴルフ界に転身し、レッスンプロとなった。
詳細情報
年度別投手成績




















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W
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I
P

1982大洋245000540--.55631173.060113563534033323.951.30
1983372841010122--.455805182.1188338567118111081004.941.50
1984302572010110--.476790185.11842562871234081793.841.33
19852314000370--.30033370.278194112434060597.511.68
1986日本ハム27267241090--.526727178.11712638031228175753.791.17
19872316201660--.500455103.1125232302704058574.961.43
19882116200470--.364434103.1106103012733046433.751.32
1989285000120--.33335886.281102204582039323.321.19
1990ヤクルト370000675--.46230874.060123340691033303.651.26
199140000000------245.181000600446.751.50
1992406000320--.60032273.26563109744137283.421.30
1993311000110--.50017242.03471121391016132.791.07
1994232000110--.50013630.03451402320016144.201.60
1995ロッテ191000010--.00013231.02221415263014133.771.16
通算:14年367145225560707--.46253071239.0121619043929479063936205794.211.34


各年度の太字はリーグ最高

記録
初記録


初登板:1982年4月4日、対
阪神タイガース2回戦(横浜スタジアム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点

初奪三振:1982年4月5日、対読売ジャイアンツ1回戦(横浜スタジアム)、5回表にゲーリー・トマソンから

初勝利:1982年4月11日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、7回裏に2番手で救援登板、2回無失点

初先発登板:1982年9月1日、対阪神タイガース22回戦(横浜スタジアム)、5回2/3を2失点で敗戦投手

初先発勝利:1983年4月20日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、6回2失点(自責点0)


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