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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度34分28.8秒 東経136度39分55.7秒 / 北緯36.574667度 東経136.665472度 / 36.574667; 136.665472座標: 北緯36度34分28.8秒 東経136度39分55.7秒 / 北緯36.574667度 東経136.665472度 / 36.574667; 136.665472
過去の名称小橋小学所
第十四区学校
尋常科馬場小学校
馬場尋常小学校
金沢市立馬場国民学校
国公私立の別公立学校
設立年月日1871年(明治3年)11月22日
創立記念日11月22日
閉校年月日2024年3月31日
共学・別学男女共学
学期3学期制
学校コードB117220100081
所在地〒920-0831
石川県金沢市東山3丁目9番30号
外部リンク
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校舎
旧金沢市立馬場小学校(きゅうかなざわしりつばばしょうがっこう)は、かつて石川県金沢市東山3丁目に所在した公立(金沢市立)の小学校。 出典:[1]
概要
人権を尊重し個性を認める教育を教育目標として、自分らしい表現力を育成することに重点を置いた教育を行っていた。
校舎内には馬場小学校卒業生である泉鏡花・徳田秋声・尾山篤二郎の文学碑「文学の故郷」が建立されている。これは1970年(昭和45年)11月に創立百周年事業の一環で建立されたもので、尾山篤二郎の『雪客』、泉鏡花の『縷紅新草』、徳田秋声の『光を追うて』の各一節が印されている。また、この「文学の故郷」の碑文は、当時ノーベル文学賞受賞で名をはせた川端康成の字であり、石碑が落成された時には川端自身が来校している。
同じく創立百周年事業として、プールには東洋のトビウオと呼ばれた古橋廣之進の字で「泳」というプレートが作られた。
行事としては、新入生の行事で毎年卯辰山での記念植樹が行われている。ほかにも、馬場小学校の学校設立記念日(11月22日)に、「馬場のステキを伝えよう集会」も、毎年開催されていた。
2022年度までは、「BABA-ONE」と呼ばれる独自の行事を開催していた。
近年ではJ-POPのダンスを踊っている。
閉校記念式典が終わり、金沢市に校舎が接収された。
沿革
1871年(明治3年)11月22日 - 小橋小学所創立(小橋町)。
1872年(明治5年)8月 - 学制発布により第十四区学校に改称。なお、1887年まで校名は7回改称された。
1887年(明治20年)4月 - 尋常科馬場小学校に改称。
1891年(明治24年)6月 - 現在地に校舎を移転。
1892年(明治25年)4月 - 馬場尋常小学校に改称。
1929年(昭和4年) 2月 - 校舎焼失。
1933年(昭和8年) 8月 - 校舎竣工。
1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により金沢市立馬場国民学校に改称。
1947年(昭和22年)4月 - 現在の校名である金沢市立馬場小学校に改称。
1965年(昭和40年)11月22日 - 11月22日を本校の創立記念日と定め、学校が休みとなる。
1966年(昭和41年)1月 - 特学分校併置。
1970年(昭和45年)11月 - 創立百周年記念事業による「文学の故郷」碑落成。
1970年(昭和45年)11月 - 創立百周年記念式挙行。
1972年(昭和47年)4月 - 特学分校休校。