金文洙
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金 文洙(キム ムンス)???

生年月日 (1951-08-27) 1951年8月27日(72歳)
出生地 慶尚北道永川市
所属政党(民衆党→)
民主自由党→)
新韓国党→)
(ハンナラ党→)
(セヌリ党→)
自由韓国党→)
(自由統一党(朝鮮語版)→)
自由共和党
宗教カトリック
サイン
京畿道知事
在任期間2006年7月1日 - 2014年6月30日
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金文洙
各種表記
ハングル:???
漢字:金文洙
発音:キム・ムンス
英語表記:Kim Moon-Soo
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金 文洙(キム・ムンス、1951年8月27日 - )は、大韓民国政治家、元労働運動家国会議員(15?17代)、京畿道知事(2006年?2014年)、セヌリ党保守革新委員会委員長(2014年)、自由統一党(朝鮮語版)代表(2020年)を歴任し、2020年より自由共和党の共同代表を務めている。
歩み

慶尚北道永川郡(現:永川市)生まれ、軍事独裁政権時代の70年代?80年代にかけ労働運動家として労働運動に携わった。民主化後の1990年に本格的革新政党として結成された民衆党に参加したが、後に金泳三大統領(当時)与党である民主自由党に参加した。第15代総選挙で初当選して政界入りした後、2006年の京畿道知事選挙へ立候補して当選、第4代民選知事となった。2012年12月に予定されている韓国大統領選挙における候補の一人と目され、4月22日に出馬表明[1]。7月12日、セヌリ党の大統領候補予備選に立候補[2]したが、党員・一般国民による投票と世論調査による党内選挙の結果、当初から有力視されていた朴槿恵に大差で敗れた[3]。2014年1月、6月に行われる第6回全国同時地方選挙の一つとして行われる京畿道知事選には出馬しない意思を明らかにした上で、「京畿道も重要だが、国家的な事案である統一や経済活性化などに関心があり、他の事も懸命にやりたい」と(2017年の)大統領選への出馬意欲を示した[4]

知事退任後の2014年9月、セヌリ党の党内改革を推進する保守革新委員会の委員長に就任した[5]

2016年4月13日に行われた第20代総選挙大邱市寿城区甲選挙区から立候補したが、得票率37.7%にとどまり、共に民主党金富謙(得票率62.3%)に大差で敗れて落選した。

2018年6月13日に行われた第7回全国同時地方選挙ソウル特別市長選挙に立候補したが、得票率23.3%にとどまり、共に民主党の現職市長・朴元淳(得票率52.7%)にダブルスコアの大差をつけられて惨敗した[6]

2019年に入ってから太極旗集会朴槿恵弾劾無効と崔順実ゲート事件冤罪を主張する集会)に積極的に参加するようになり、曹国法務部長官就任を巡って国論が分裂した際には就任に抗議する意味合いで剃髪をした[7]。そして2020年1月31日に自由統一党(朝鮮語版)を創立して党代表に就任すると[8]。直後の2月20日に太極旗集会の主宰者であるウリ共和党と統合することで合意し[9]、3月3日の自由共和党発足に際して趙源震と共同代表に就任した[10]。しかし、趙と総選挙戦略に対する異見があるため、間もなく再び離れ、以降は脱北者の人権増進活動および文在寅政権に反対する保守性向の市民団体で活動している[11][12][13][14]

2022年10月、尹錫悦政権の経済社会労働委員会(朝鮮語版)委員長に就任した。ただし、元労働運動家であるにもかかわらず、労働運動界は金が政治家時代に反労働運動的な言辞をしたとして、任命に反対した[15]
人物

本貫慶州金氏[16]

2004年以降、朝鮮民主主義人民共和国における人権問題に対して消極的な対応を採っていた韓国政府の対応を批判し、北朝鮮住民人権法を提案するなど、北朝鮮住民の人権を擁護し、守る活動に取り組んでいる[17]



来歴

1970年 - ソウル大学校商科大学経営学科入学。

1971年10月15日 - 不正腐敗清算全国学生デモで除籍。

1971年?1972年 - 本籍地で農民運動に携わる。

1974年3月 - 清渓川被服工場で裁断補助工として勤務

1974年4月 - 民青学連事件関連で除籍

1977年 ? 環境管理技師2級と安全管理技師2級の国家資格を取得

1976年6月?1980年9月 - 全国金属労働組合、ハンイルドルコ労組委員長

1980年2月?3月 - 南営洞対共分室に連行され、拷問を受けた。その後西大門刑務所収監されたが、起訴猶予で釈放される。釈放後、ハンイルドルコに復職。

1981年9月 - 結婚

1984年1月 - 韓国労働者福祉協議会副委員長

1985年2月 - 全泰壱記念事業会事務局長

1986年5月 - 仁川5・3直選制改憲闘争で拘束(2年6ヶ月服役)

1990年

9月 - 民衆党九老甲地区党委員長

11月10日 - 民衆党労働委員長


1992年

3月 - 国会議員選挙に民衆党全国区候補(名簿順位3位)として出馬するも落選。

10月 - 労働人権会館所長(?1994年6月)


1993年 - 韓国労働研究院、現代自動車労使関係診断チーム長

1994年

2月 - 労働部行政規制緩和委員会の委員(?1996年4月)

6月 - 労働人権会館理事(?現在)

8月27日 - ソウル大学経営学科を25年ぶりに卒業


1996年 - 第15代国会議員総選挙新韓国党の公薦で富川市素砂区から出馬し、初当選した。以後、16代、17代の国会議員を歴任した。

2006年 - 第4回全国同時地方選挙京畿道知事選挙に出馬し、当選した。民選4期道知事(2006年?2010年)。

2010年 - 第5回全国同時地方選挙、京畿道知事選挙に出馬、野党統一候補として出馬した柳時敏国民参与党)候補を破って再選を果たす。


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