金弘道
各種表記
ハングル:???
漢字:金弘道
発音:キム・ホンド
日本語読み:きん こうどう
ローマ字:Kim Hong-do
テンプレートを表示
金 弘道(きん こうどう、キム・ホンド、???、1745年〈英祖21年〉 - 没年不詳)は、李氏朝鮮後期の画家。字は子能。号は檀園(タンウォン、??)のほか、丹邱・西湖・高眠居士・輒酔翁などがある。本貫は金海。
朝鮮王朝後期を代表する画家の一人であり、金弘道(檀園)は申潤福(實)・張承業(吾園)とともに「三園」と称されている。目次
1 生涯
2 作品
3 影響
4 関連項目
生涯(朝鮮語版
没年ははっきりしない。病を得たと記録された1805年頃に没したとする説、没年は1816年以降と見る説がある。 山水画・人物画・花鳥画にも腕を振るったが、今日その名が知られているのは、「檀園風俗図帖」など、当時の画家たちが題材とすることが稀であった民衆の日常生活を描いた風俗画によってである。金弘道の後に続いた申潤福・金得臣とともに「朝鮮三大風俗画家」と並称されることがある。 また、西洋画の陰影技法を朝鮮でいち早く取り入れる試みを行った画家の一人とも評価されている。 群仙図屏(韓国国宝) 朝鮮の伝統文化や朝鮮王朝時代の風俗が説明される際にその絵が引用されることが多い。 王に重用されたすぐれた画家でありながら庶民生活への親しみを込めた絵を描いたこと、その事績に不明な部分が多いことから、後年に多くの伝承が生じた。韓国においてはその生涯を題材にした小説・ドラマ・映画も多くあり、エンターテインメントとしても消費されている(極端な例では金弘道=東洲斎写楽説など)。 ウィキメディア・コモンズには、金弘道
作品
影響
関連項目
檀園区(安山市) - 金弘道の号にちなむ区名。
アート
美術
画家
絵師
画伯
風の絵師 - 金弘道を主人公にした韓国ドラマ