金属器
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前漢代の青銅灯明具中国

金属器(きんぞくき)とは、材質によって道具を分類したときの名称のひとつで、金属によってつくられた道具をさす。概念としては石器土器と並び立ち、一般的に、それらと比べ耐久性に優れる。
金属器の種類と時代区分弥生時代後期の銅鐸日本、3世紀)

金属器は、その材料の違いによって青銅器鉄器などと呼び分けられる。特にこの二者は、利器容器などとして広く用いられてきた。考古学分野においては、青銅器時代鉄器時代のように、出土する遺物に応じて時代名称としても用いられる。この時代区分は、デンマーククリスチャン・トムセンが提唱した先史時代の時代区分法によるもので、おもに使用されていた道具の材質によって、その時代を石器時代青銅器時代鉄器時代の3期に区分したものである。

なお、金属利用そのものは石器時代にさかのぼり、自然金自然銅自然銀ならびに隕鉄新石器時代から使用されていた。とくに自然銅に関しては、イランのアリ・コシュ遺跡で新石器時代初頭から使用されていたことが確かめられており、紀元前5000年ころのエジプトでも自然金や自然銅の使用が始まっている。

これらはいずれも、天然状態のものを採取して、鍛打したり、切削したりして使用したものである。また、赤鉄鉱を原料とする赤色顔料の利用も古いが,これは金属としての利用とは言い難い。

世界の一部の地域(ヨーロッパ南東部、西アジア中央アジア)では、青銅器時代に先立って銅器時代を例外的に設定することがある。これは、(すず)との合金である青銅がつくられる前段階に相当する。銅は錫との合金によって、硬質で鋭利な農具工具武器となりえたのであり、そのままではやわらかくて利器としては活用できない。青銅器は、錫の含有率14%前後のものが、最もつよく伸びが小さく、利器としての使用にたえるとされる。ツタンカーメンの「黄金のマスク」(エジプト、紀元前14世紀)

青銅器の使用は、メソポタミア、エジプト、インドアナトリアなどでは紀元前3500年ころから紀元前3000年ころにかけて、エーゲ海から地中海ドナウ川を経てヨーロッパでは紀元前2000年を前後するころから、中国では紀元前1700年ころから始まっており、いずれも、武器、祭器、装身具として利用された。ヨーロッパの青銅器文化の大中心地はスペインやウネティチエ(チェコ)などの中央ヨーロッパであった。それに対し、日本における青銅器の使用は遅く、弥生時代初期からであり、銅剣銅矛銅戈銅鐸、銅釧(どうくしろ)などとしてであり、これは鉄器使用の開始時期とほぼ同時期にあたる。したがって、日本においては、利器としての金属器は当初から鉄製のものが使用され、青銅器は当初からもっぱら祭器としての性格が強い。

なお、断片的な資料ながら、佐賀県唐津市の久里大牟田遺跡からは弥生時代として製のものが出土しており、日本産の鉛を使用していたとみられる。また山口県福岡県の弥生時代遺跡からは中国からもたらされたとみられる鍍金技術をともなう遺物が出土している。日本で本格的に水銀を利用して鍍金(金めっき)・鍍銀(銀めっき)がなされるのは、古墳時代以降のことである。

ほかに金や銀、銅などの貴金属を素材とする金属器もあるが、青銅器や鉄器のような実用性は低く、その稀少性から宝器としての性格が強い。

ことにエジプトでは、金は「神々の肉」と称され、ツタンカーメンの「黄金のマスク」はじめ数多くの金製品がつくられ、そこでは冶金工場は神殿か国家に所属していた。


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