金寛鎮
[Wikipedia|▼Menu]

金 寛鎮
2012年10月24日、訪米中に国防総省レオン・パネッタ国防長官との共同記者会見に臨んだ際の金寛鎮
生誕 (1949-08-27) 1949年8月27日(74歳)
韓国 全羅北道任実郡

サイン
初代 韓国国家安保室長
在任期間2013年3月20日 - 2014年5月20日
大統領朴槿恵
第43代 韓国国防部長官
在任期間2010年12月4日 - 2014年6月29日
大統領李明博朴槿恵
第40代 韓国軍合同参謀議長
在任期間2006年11月17日 - 2008年3月25日
大統領盧武鉉
テンプレートを表示
軍事経歴
合同参謀議長在任中の金寛鎮大将(2007年11月6日
所属組織 韓国陸軍
軍歴1972年 - 2008年
最終階級 大将
勲章レジオン・オブ・メリット(功労勲章,アメリカ軍)
レジオン・オブ・メリット(トルコ軍[1]
テンプレートを表示

金 寛鎮(キム・グァンジン、朝鮮語: ???、1949年8月27日 - )は、大韓民国の元軍人。元国防部長官(第43代)、元国家安全保障室長陸軍において野戦部隊や戦略部署などを渡り歩き[2]、野戦戦略通であるとされる[3]

本貫慶州金氏[4]
学歴

1967年 -
ソウル高等学校卒業

1972年 - 韓国陸軍士官学校卒業(第28期)

軍歴

1983年4月 - 第15師団第50連隊第2大隊長

1990年9月 - 第26機械化歩兵旅団長

1992年3月 - 統合参謀本部軍事戦略課長

1993年12月 - 大統領室に派遣される

1996年1月 - 教育司戦闘開発部次長

1996年11月 - 陸軍本部陸軍参謀総長秘書室長

1998年4月 - 陸軍本部戦略企画所長

1999年4月 - 第35師団長

2000年10月 - 陸軍本部企画管理参謀部長

2002年10月 - 陸軍第2軍団長

2004年5月 - 合同参謀本部作戦本部長

2005年4月 - 第3軍司令官

2006年11月 - 合同参謀議長(第33代、?2008年3月)

国防部長官

2010年3月26日に発生した海軍浦項級コルベット天安沈没事件を受け、当時国防部長官であった金泰栄[5]は辞意を表明したが、その後も職に留まり残務処理を行っていた。しかし、同年11月23日には延坪島砲撃事件が発生し、軍人・民間人に死傷者が出る事態となった。この際、韓国軍側の対応に問題があったとして、金泰栄は11月25日付で李明博大統領に辞表を提出[6]。一時は李熙元大統領室安保特別補佐官が後継に決まったと報じられたが[7]、すぐに金寛鎮の長官内定が報じられた。国会承認に向けた人事聴聞会では北朝鮮が再度砲撃を行えば空爆も辞さないと発言するなど、強硬姿勢を鮮明にした[8]。同年12月4日に正式就任し、その日のうちに延坪島を訪問した[9]

朴槿恵政権への政権交代後は、長官職を退任し、地方に戻ってしばらく休養をとるつもりで公館整理を進めていた[10]。朴槿恵大統領が指名していた次期国防部長官候補である金秉寛退役陸軍大将[11]の身辺で次々と疑惑やスキャンダルが報じられ、同大将が指名辞退に追い込まれたことから、請われてそのまま留任することとなった[10]。この辞退・留任劇の背景には、陸軍士官学校28期の同期である金章洙(国家安全保障室長、元陸軍参謀総長・元国防部長官)と金寛鎮、朴興烈(青瓦台警護室長、元陸軍参謀総長)の3人と、金秉寛の間のわだかまりがあると指摘する報道もあった[10]。大統領が交代した際に国防部長官が留任するのは史上初めてのことである[10]
国家安全保障室長

2014年6月29日に国防長官を退任し、国家安全保障室長に就任した。

2014年10月4日、柳吉在(リュ・ギルジェ)統一相と共に、2014年アジア競技大会閉会式にあわせて訪韓した北朝鮮の最高幹部3名(朝鮮人民軍総政治局長黄炳瑞朝鮮労働党統一戦線部長金養建、国家体育委員長の崔竜海)と会談し、今後の南北高官協議の開催に同意した[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:19 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef