金完燮
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キム・ワンソプ
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金 完燮
生誕
1963年(60 - 61歳)
韓国 全羅南道光州市
出身校ソウル大学校中退
職業評論家・作家・ヘ育家・言論人
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金完燮
各種表記
ハングル:???
漢字:金完燮
発音:[1][2]
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金 完燮(きん かんしょう、キム・ワンソプ、???、1963年 - )は、韓国評論家作家・教育家・言論人。

光州広域市生まれ。サレジオ高校?ソウル大学中退[3]光州事件の市民軍に参加した。
来歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2013年12月)


1980年 - 光州民主化運動(→光州事件)に市民軍として参加し、全羅道庁に篭城。のちに、国家偉功者として顕彰される。

1982年 - ソウル大学物理学部に入学。

1989年 - 雑誌編集記者になる。

1995年 - 「娼婦論」出版、韓国でベストセラーとなる。

1996年 - オーストラリアに移住して、以後対日観が変わる[4]

1998年 - 韓国に帰国。『コスタク新聞』を創刊、編集主幹になる。

1999年 - 親日関連著作で名誉毀損罪で有罪となる。

2002年 - 日本で『親日派のための弁明』が出版される。

2003年2月14日 - 「日帝の韓国支配と明成皇后暗殺を美化する本を書き、インターネットに関連の文章を掲載した」容疑でソウル高等裁判所から700万ウォンの罰金刑を命じられる。

2003年11月 - 過去史真相究明のための国会公聴会に参加するが傍聴人から暴行される。

2004年7月27日 - 金九の名誉を毀損したとしてソウル高等検察庁に起訴される[5]

2004年10月 - 親日著作をめぐる裁判の出廷時に殺人犯朴gから暴行を受け負傷。朴は韓国においては「安斗熙処断者」として英雄扱いで、「議員」「先生」「義士」などの敬称で呼ばれ、度々、メディアにも登場する。朴に暴行を受けて被害者になった金完燮は、次は「金完燮処断者」として歴史に名を残そうとしているようだと皮肉を述べた。

2005年2月22日 - 2月15日に金完燮がインターネット上に載せた文章を読んだ女優のキム・ウルドン(「青山里戦闘」の金佐鎮の孫)に、名誉毀損罪で告訴された[6]

2005年9月2日 - 慰安婦や歴史上の人物を評論したことにより子孫の名誉を毀損したなどとして9600万ウォンの賠償をソウル中央地裁から命じられる[7]

2006年5月31日 - 金完燮への誹謗中傷は「独島は日本に返してやれ」などと自ら誘発させたものであるから不起訴処分とする、とソウル中央地方検察庁が発表[8]

主張と論争
慰安婦

日本は海外遠征のときに慰安婦を送ることによって軍人と現地住民に配慮しており、侵略軍ではなく解放軍により近い証拠であり、日本軍のヒューマニズムを象徴する証拠として再評価されなければならないと述べている。これに対し、ソウル中央地裁から日本軍慰安婦被害者6人にそれぞれ600万ウォン払うよう命じられる。
閔妃 (明成皇后)

明成皇后は朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物と述べている。これに対し、ソウル中央地裁から明成皇后遺族らにそれぞれ1000万ウォン払うよう命じられる。
安重根・金九

安重根は守旧反動派の凶悪犯であり、日本人が伊藤博文を日本の国父と考えず、安重根を仇とすら考えていないことが理解できないと述べ、金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられないと述べている。


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