金子達仁
[Wikipedia|▼Menu]

金子 達仁
生誕 (1966-01-26)
1966年1月26日(58歳)
日本神奈川県横浜市
国籍 日本
教育法政大学社会学部
職業スポーツジャーナリスト
配偶者八塩圭子
公式サイトhttp://www.tatsuhitokaneko.jp 公式サイト
テンプレートを表示

金子 達仁(かねこ たつひと、1966年1月26日 - )は、日本スポーツライターノンフィクション作家である。FC琉球スーパーバイザー。
経歴

神奈川県横浜市出身。法政大学第二高等学校を経て、法政大学社会学部卒業。

大学卒業後、当時『サッカーダイジェスト』の編集者だった富樫洋一の誘いで日本スポーツ企画出版社に入社、『スマッシュ』、『サッカーダイジェスト』の編集者を経て1995年フリーになる。その後スペインバルセロナに移住。

1997年サッカーアトランタオリンピック代表を取材し、『Sports Graphic Number』誌に掲載された『叫び』『断層』(後に大幅な加筆修正のうえ『28年目のハーフタイム』として上梓)でミズノスポーツライター賞受賞。サッカーを中心にノンフィクション作品を手がける。代表作にJ1参入決定予備戦アビスパ福岡vs川崎フロンターレ戦(1998年11月19日)のルポルタージュ『神を見た夜』(のち『バックパスの行方』と改題、改筆し『魂の叫び J2聖戦記』に収録)や、1999年のJ2最終節を扱った『秋天の陽炎』など。

またスカパー!などでサッカー解説者も務めるが、肩書きは「解説」ではなく「ゲスト」となっている(ただし、ニッポン放送のみ元々「解説」ではなく「サッカーコメンテーター」という肩書きを採用しているため、この肩書きがそのまま使用される)。
人物

父の仕事の関係で小学生の時に神戸に住んでいたことがある。それとは関係ないが(むしろ在神時代は緩やかな巨人ファンだった)[1]、1985年にサッカー日本代表がワールドカップメキシコ大会予選大会で惜敗した同年に阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝、そして初の日本一に輝いたという奇跡経験から熱狂的な阪神タイガースファン[1] であり、プロ野球シーズン中は、取材などで海外に滞在時でもインターネットでタイガースの勝敗は必ずチェックするほどである[2]。サッカーでは子供の頃からボルシア・メンヒェングラートバッハのファンである[3][4]

妻はフリーアナウンサーの八塩圭子。2012年11月に第1子誕生[5]

ヘヴィメタルファンであり、1999年5月号から2012年5月号まで音楽雑誌「BURRN!」でコラムを執筆していた。

特技は麻雀で、『モンド21麻雀BATTLE ROYAL』の2007年、2009年、2010年の3大会全て団体優勝している。
エピソード

2006年ドイツワールドカップ後に行われた村上龍セルジオ越後、近藤篤との座談会において、日本代表監督について「凄く不思議なのは、オシムに『いいサッカー』『日本人らしいサッカー』を期待している人達ってすごい多いじゃないですか…意味ないと僕は思うんですよ。大事なのは勝つ事」「代表チームはクラブチームと違って時間がないのに、いいサッカーを期待しちゃダメですよ」と持論を述べている[6]。一方で2010年南アフリカワールドカップの際には「必然性のない勝利はいらぬ。負けろ、日本。未来の為」[7] とも主張しており、日本が勝利したカメルーン戦後には、「全く意味のない喜べない悲しい勝利であり、代表のサッカーはアンチ・フットボールである」と書いている[8]

2009年2月19日に玉木正之と対談した『ニッポンはどうすれば勝てるのか?』にて、サッカー選手として中村俊輔を信用していないと述べている[9]。その理由を、大相撲二子山部屋の初稽古に中西哲生川口能活・中村を連れ、全盛期の横綱貴乃花の稽古を見学後、ちゃんこ鍋をごちそうされながら貴乃花から話を聞ける機会に、中村は「彼女と約束があるから帰ります」と断ったため、「(中村は)アウト。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef