この項目では、元プロ野球選手の金子勝美について説明しています。女優については「金子勝美 (女優)」をご覧ください。
金子 勝美基本情報
国籍 日本
出身地埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)吉敷町
生年月日 (1949-05-31) 1949年5月31日(75歳)
身長
体重175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手
プロ入り1971年 ドラフト4位
初出場1972年4月25日
最終出場1977年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
埼玉県立大宮高等学校
早稲田大学
中日ドラゴンズ (1972 - 1977)
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金子 勝美(かねこ かつみ、1949年5月31日 - )は、埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。娘は女子プロゴルファーの金子絢香。 埼玉県立大宮高等学校では1966年、2年生の時に三塁手として春の選抜に出場。1回戦で宮崎商を降すが、続く2回戦で平安高の門野利治に抑えられ惜敗[1]。同年の秋季関東大会県予選からエースとなり、1回戦で深谷商をノーヒットノーランに抑える。秋季関東大会では決勝に進むが、桐生高に大敗した。翌1967年には夏の甲子園に出場。1回戦で報徳学園と対戦、9回裏2死までリードするが、ここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した[2]。しかし秋の埼玉国体では、決勝で大分商の河原明に投げ勝ち優勝。チームメートに吉田誠、新井良雄(2年生)、鈴木治彦、島村雄二(いずれも1年生)がいた。1967年ドラフト会議で東京オリオンズから8位指名を受けるも拒否。 卒業後は早稲田大学に進学し内野手に転向。東京六大学野球リーグでは1968年秋季リーグで優勝を経験するが、谷沢健一、荒川堯らの卒業によって戦力が低下し、その後は優勝に届かなかった。1970年春季リーグでは打率.434で首位打者を獲得し、ベストナイン(三塁手)に選出されている。リーグ通算75試合出場、275打数77安打、打率.280、3本塁打、32打点。大学同期に内野手の望月博、中村勝広、田中伸樹がいる。 1971年ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団[3]。強肩俊足の内野手として期待され、1972年にジュニアオールスターにも出場した。翌1973年には二塁手として5試合に先発出場を果たすが、その後は故障もあり一軍には定着できず、1977年限りで引退した[3]。 引退後はナカヤ商事、豪州屋で勤めた後にニュースキンの経営者として成功している[3]。
来歴・人物
詳細情報
年度別打撃成績
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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