金子修介
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かねこ しゅうすけ
金子 修介
第36回東京国際映画祭にて(2023年10月23日
生年月日 (1955-06-08) 1955年6月8日(68歳)
出生地 日本東京都渋谷区
職業映画監督
ジャンル映画
活動期間1978年 -
公式サイト ⇒金子修介 公式情報サイト
主な作品


1999年の夏休み

就職戦線異状なし

毎日が夏休み[1]

平成ガメラ3部作[1]

学校の怪談3

ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃

デスノート2部作[1]

 受賞
ブルーリボン賞


監督賞

1996年ガメラ 大怪獣空中決戦[1]

その他の賞
ヨコハマ映画祭
新人監督賞
1985年宇能鴻一郎の濡れて打つ』他
監督賞
1989年1999年の夏休み
1996年ガメラ 大怪獣空中決戦日本SF大賞
1996年『ガメラ2 レギオン襲来[1]マドリード国際映画祭
外国語映画部門最優秀監督賞
2022年信虎

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金子 修介(かねこ しゅうすけ[2]1955年[2]6月8日[出典 1] - )は、日本映画監督
略歴

東京都[出典 2]渋谷区初台[7]出身。東京都立三鷹高等学校東京学芸大学教育学部卒業。大学卒業時には小学校教員国語科教員免許を取得している。

渋谷区立幡代小学校の同級生に劇作家の野田秀樹[3][1]、大学映研の先輩部員に映画監督の押井守がいる[3]

東京学芸大学では映像芸術研究会に所属(押井の直接の後輩にあたる)。自主映画の制作ニュースを載せる新聞を発行して製作資金を集めて、コメディ映画を撮影した[8][9]

大学を卒業後、1978年に映画会社日活へ入社[出典 2]日活ロマンポルノ助監督を務めていた1981年に、 押井の手がけていたテレビアニメ版『うる星やつら』第3話の脚本で商業デビュー。同作品での脚本担当はわずか3回(6話)分にすぎないが、アニメオリジナルエピソードに先鞭をつける役割を果たした。

その後、脚本の書ける助監督として何本かのロマンポルノで助監督兼任または単独で脚本を執筆したのち、1984年2月に日活ロマンポルノ『宇能鴻一郎の濡れて打つ』で商業監督デビューした[出典 2]。同年6月に、にっかつ撮影所の契約社員となり、1985年にニュー・センチュリー・プロデューサーズへ移籍。1987年、ヤクザコメディ『恐怖のヤッちゃん』をヤクザ映画の総本山、東映京都撮影所で撮るという難しい企画で初の他社撮影所進出に成功(しかも同撮影所はロマンポルノの先輩、田中登神代辰巳がともに苦杯をなめた因縁の地であった)。以降、松竹、東宝と大手撮影所を総なめにし、現在はフリーランスの立場で映画製作を手がけている。

なお、自主映画出身でロマンポルノ『ピンクカット 太く愛して深く愛して』にゲスト監督として招聘された森田芳光に対しては、同作品および引き続いて日活撮影所協力で製作されたATG映画『家族ゲーム』、さらには自らの監督昇進後に作られた角川映画『メイン・テーマ』でも助監督として補佐した。ロマンポルノでは、青春ものを得意とする小原宏裕らの現場に多くついている。

1996年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』で第38回ブルーリボン賞監督賞および映画芸術誌邦画ベスト10で第1位、『ガメラ2 レギオン襲来』で第17回日本SF大賞を受賞。

2022年、『信虎』がマドリード国際映画祭2022で「外国語映画部門 最優秀監督」を受賞[10]
人物

両親は日本共産党の党員で、雑誌『今日のソ連邦』を購読していた[11]。父の金子徳好は、「アメリカはベトナムから手を引け」などの反戦ゼッケンを8年もの間、胸に付けて通勤し続けた。母の金子静枝は切絵作家、弟の金子二郎は脚本家である。脚本家の金子鈴幸は息子、映画監督の金子由里奈は娘。

小学生のころから石森章太郎の『マンガ家入門』を手本にマンガを描き始め、中学3年生のときには 『COM』にも投稿。高校に入学した1971年より8ミリ映画による自主映画の製作を始め、映画青年となる。

小学生のころは自作の怪獣事典を作るほどの怪獣少年であった[12][13]。小学校時代の学芸会では、同級生であった野田秀樹とダンボールなどで作った怪獣を演じたという[14][1]。小学1年生の時に観た『キングコング対ゴジラ』では、ゴジラが引き分けることに納得がいかず、ゴジラが勝つ漫画を自作した[13]

映画を撮り始めたころには怪獣のことは忘れて『仁義なき戦い』に傾倒しており、自身も社会問題を題材にすることを目指していたが、デビュー後に世界に通用するエンターテイメントは何か考えたところ、ハリウッドに対抗できる題材は怪獣映画だと思い至った[1]。自身のデビュー当時は怪獣映画をやりたいと言っても笑い話にしかならなかったが、後年にハリウッドでモンスター・ヴァースが制作された際には、当時の考えは間違いではなかったと思えるようになったという[1]

幼少期、最初に鑑賞した映画『モスラ』は、両親とともに観た幸福な体験として記憶されているという[15][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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