この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2023年6月)
金剛山
金剛山・世尊峰(セジョンボン)
標高1,638 m
所在地 朝鮮民主主義人民共和国江原道
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度39分24秒 東経128度6分18秒 / 北緯38.65667度 東経128.10500度 / 38.65667; 128.10500
金剛山
各種表記
チョソングル:???
漢字:金剛山
発音:クムガンサン
日本語読み:こんごうさん
RR式:Geumgang-san
MR式:K?mgang-san
英語表記:Mount Kumgang
テンプレートを表示
金剛山(クムガンサン)は、太白山脈に属する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)江原道にある山。最高峰は毘盧峰で、標高1,638mである。古来朝鮮半島では、白頭山と並ぶ名山とされてきた。 金剛山は古くからかなり広い地域を指す言葉であり、現在でも金剛山の範囲は東西40km、南北60kmとされている。もっとも範囲の定義はかなり曖昧な面もあり、特に一番広い定義を採用した場合、南端のごく一部は韓国側にかかることになる。金剛山の岩に刻まれた金日成の漢詩。金正日の満50歳を記念したもので、実の息子を褒めちぎった内容。ハングルでも同じ内容が刻まれている。2006年8月27日撮影。 金剛山は内金剛(ネグムガン)、外金剛(ウェグムガン)、海金剛(ヘグムガン)の、大きく3つの地域に区分されている、最高峰である毘盧峰がある中央連峰を境とし、西側を内金剛、東側を外金剛、東端の海岸部が海金剛である。日本統治時代には外金剛南部を新金剛(しんこんごう、シングムガン)と呼んでいたが、現在では殆ど使われていない。また、現在の北朝鮮や韓国ではもっと細かく22ないし23区域に分ける方式も採用している。金剛山観光地区が制定されているのは外金剛と海金剛の一部であり、韓国側からの観光も外金剛と海金剛の一部のみで行われてきたが、2007年6月以降、内金剛の観光も開始された。 新羅時代より仏教が盛んだった金剛山には、神渓寺(シンゲサ)、楡岾寺(ユジョムサ)、長安寺(チャンアンサ)、表訓寺(ピョンフンサ)の「金剛山四大寺院」をはじめとする寺や石塔、石仏などが多くあったが、朝鮮戦争の結果、双方の戦闘や米軍の爆撃などで多くの文化財が破壊され、表訓寺以外は現存しない。北朝鮮時代になってからは金日成・金正日親子を称える文字を大々的に岩に刻み付ける行為が続けられている。2000年代以降、南北の仏教界が四大寺院の修復と復興に協力することを合意しており、神渓寺は2004年に韓国側の支援により再建されている。 金剛山とは華厳経の中から採った名称とされている。金剛山の峰々の数は一万二千峰あると言われてきたが、この一万二千という数字も同じく華厳経にある数という。また金剛山には蓬莱山、楓岳山、皆骨山と言うよく知られた別名がある。蓬莱は夏、楓岳は秋、そして皆骨は冬の金剛山を指す言葉として用いられている。 1894年、イザベラ・バードが金剛山を訪れた時期には、長安寺、神渓寺など45の寺院があったという。朝鮮紀行では、長安寺を515年、新羅の法興王時代に建てられた朝鮮最古の寺として紹介している[2]。 20世紀初頭は交通の便が極めて悪く、金剛山を訪れる人も極めて少なかった。しかし、その風貌が知られるにつれて「日本有数の名山」とされ、徳富蘇峰や若山牧水などの著名人が金剛山を紹介したこともあって、広く世に知られるようになった。やがて鉄原(てつげん / チョロン)から金剛山電気鉄道という私鉄によって内金剛の麓まで、朝鮮総督府鉄道の東海北部線によって外金剛の麓までアクセスが可能になると、金剛山は一大観光地となった。外金剛に当時朝鮮半島有数のスキー場が作られ、山スキーも盛んに行われるなど、金剛山には四季を問わず観光客が集まるようになり、日本式や朝鮮式の旅館が立ち並び大いに栄えたと言う。金剛山を国立公園とする運動も起こったが、それは実現しなかった。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}7銭切手。当時日本領だった金剛山が描かれている日本統治時代の神渓寺外金剛玉流洞渓谷でヤマメ釣りをする日本人朝鮮総督府鉄道局による1939年のパンフレット
概要
名称
李氏朝鮮時代
日本統治時代の金剛山
Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef