金剛乗(こんごうじょう、サンスクリット語:vajray?na)とは、密教徒が自らの密教を自称することば[1]。カタカナ表記はヴァジラヤーナのほか、ヴァジュラヤーナ、バジラヤーナ、バジュラヤーナ[2]、ヴァジュラ・ヤーナ[1][3]などと表記される。
インド仏教史は小乗 (H?nay?na) 、大乗 (Mah?y?na) 、金剛乗(密教)の大きく三つに分けることができるが、インドでは中国や日本のような宗派差別はなく、等しく受戒し、いずれも大差ない教団生活を営んだともされる[4]。
日本密教では金剛乗は真言密教(純密)を指す[5][2]。チベット密教ではタントラ仏教の自称を、欧米の仏教学ではタントラ仏教全般を指す[2]。金剛(ヴァジラ)はインドラの武器を意味する[1]。
オウム真理教でもヴァジラヤーナ(金剛乗)が説かれたが、グル麻原彰晃への絶対的帰依を意味し、グルが指示すれば殺人も肯定する教義に繋がった[6]。 密教では密教の殊勝性を表す徴となり、金剛乗とは顕教に比して絶対なる乗り物(教え)を意味する[1]。『金剛頂経』や無上瑜伽タントラにおいて用いられる[1]。
密教
オウム真理教では、修行の内容を小乗(ヒナヤーナ)、大乗(マハーヤーナ)、秘密真言乗(タントラヤーナ)、金剛乗(ヴァジラヤーナ)と体系化させ、さらに最も高度の修行の道として秘密真言金剛乗(タントラヴァジラヤーナ)を説き、そこではグルへの絶対的帰依が修行では求められた[6]。これはオウム独自の言葉である[6]。
ヴァジラヤーナとは、他人を救済するために身と口のカルマを積んで自己にカルマの清算がやってこようとも心が成熟するならばよしとする立場である[9]。最終解脱へ到達するにはヴァジラヤーナはマハーヤーナに比べて断然早く、タントラヤーナの道を歩いても、最終的にはヴァジラヤーナの道に入らねばならないとし、合わせてタントラヴァジラヤーナと呼んだ[9]。 1994年(平成6年)3月27日の杉並道場説教によれば、オウム真理教におけるタントラヴァジラヤーナの教義には、「五仏の法則」と呼ばれるものがあった[10]。 麻原は空海の真言宗でも同じことを言っているとした[11]。真言宗の経典の一つである金剛頂経は仏教学的分類においてはタントラ密教経典に分類される。金剛頂経は全十八会からなり[12]、その内初会「真実摂経」のみが日本に伝わっているが、ニ会以降の内容では後期密教との過渡期の内容に踏み込み、上記の五仏の法則に近いと言える内容も実際に存在する。 1988年(昭和63年)7月に麻原彰晃はインドでカール・リンポチェと会うことに成功、麻原はリンポチェと会ってからヴァジラヤーナを説くようになった[13]。 1988年8月から9月にかけて富士山総本部において、タントラやヴァジラヤーナには完璧な帰依、絶対的なグルに対する帰依が求められると説いた[9]。 1988年9月22日、奇声をあげるなど異常行動をとった信者を風呂場で水につけていて死亡した在家信者死亡事件が発生した[9]。 1988年10月2日、富士山総本部で「いよいよオウムがヴァジラヤーナのプロセスに入ってきた。このヴァジラヤーナのプロセスは善も悪もない。ただ心を清め、そして真理を直視し、目の前にある修行に没頭し、後は神聖なるグルの エネルギーの移入によって成就する」「金剛乗の教えというものは、もともとグルというも のを絶対的な立場に置いて、そのグルに帰依する。そして、自己を空っぽにする努力を する。その空っぽになった器にグルの経験あるいはグルのエネルギーをなみなみと満ち あふれさせる。つまり、グルのクローン化をする。あるいは守護者のクローン化をする。
五仏の法則
ラトナサンバヴァの法則 - 財産は死ぬと持っていけないので善と徳の為に使用するなら盗んで良い。
アクショーブヤの法則 - 真理に反する者は殺して良い。輪廻の真実と肉体の苦痛のどちらを重視するかでしかない。
アミターバの法則 - 真理に反する者の妻は奪っても良い。
アモーガシッディの法則 - 目的のためには手段を選ばない。
ヴァイローチャナの法則 - 麻原が明かさなかったため詳細不明。
ヴァジラヤーナの実行