金のはさみのカニ
(Le Crabe aux pinces d'or)
発売日
1941年(モノクロ版)
1943年(カラー版)
シリーズタンタンの冒険シリーズ
出版社カステルマン
『金のはさみのカニ』(きんのはさみのカニ、フランス語: Le Crabe aux pinces d'or)は、ベルギーの漫画家エルジェによる漫画(バンド・デシネ)、タンタンの冒険シリーズの9作目である。ベルギーの主流フランス語新聞『ル・ソワール(英語版)』(Le Soir)の子供向け付録誌『ル・ソワール・ジュネス(フランス語版)』(Le Soir Jeunesse)にて1940年10月から1941年10月まで連載されていた(終盤は『ル・ソワール』本誌にて連載)。当初はモノクロであったが、1943年に著者本人によってカラー化された。ベルギー人の少年タンタンが愛犬スノーウィと共に、謎のカニの缶詰の正体を探る中でハドック船長(英語版)と出会い、共に国際的な麻薬密輸団の陰謀に関わってモロッコに向かい、組織の実態を暴いて壊滅させる物語である。
これまでシリーズは『20世紀子ども新聞(英語版)』(Le Petit Vingtieme)で連載されていたが、新エピソード(後の『燃える水の国』)の連載中にナチス・ドイツによってベルギーは占領され、掲載誌が廃刊となった。本作は『ル・ソワール』誌に掲載誌を移した第1作目にあたり、戦時経済下でいくつかのトラブルに見舞われたが完結し、これまでと同様にカステルマン(英語版)社より書籍版が出版された。シリーズの歴史として、その後、準主人公として活躍するハドック船長の初登場作品として注目される。
1943年にリーニュクレールの技法で描き直されたカラー版が出版された。また、1956年のアニメ『エルジェのタンタンの冒険』及び、1991年にはカナダのアニメーション製作会社のネルバナとフランスのEllipseによるテレビアニメシリーズ『タンタンの冒険』において映像化されている。本作は最初に映画化された(英語版、オランダ語版)シリーズ作品であり、2011年にはスティーヴン・スピルバーグ監督による映画『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』においても原作の1つ(メインは『なぞのユニコーン号』)として参照された。
日本語版は、2003年にカラー版を底本にして福音館書店より出版された(川口恵子訳)。
あらすじ建物の壁面に描かれたタンタン、スノーウィ、ハドック船長(英語版)(左下の人物)。本作で初登場したハドック船長は以降、タンタンの友人として多くの冒険に関わる。
タンタンは旧知の刑事デュポンとデュボン(英語版)のオフィスに向かう途中、愛犬のスノーウィがゴミ捨て場より見慣れないカニの缶詰(金のラベルに赤いカニが描かれている)を見つけ出すが、それをその場に放置する。その後、デュポンとデュボンとの会話の際、昨夜に港で見つかった溺死体が持っていたラベルの切れ端と、例の缶詰とが関係していることに気づく。缶詰は既に何者かに持ち去られていたが、破られたラベルの裏に走り書きされたアルメニア風の「カラブジャン」というメモや、同じく事件に興味を持っていた謎の日本人男性の誘拐事件、そして溺死した男の正体を通して港に停泊中の貨物船カラブジャン号にたどり着く。カラブジャン号の積荷であるカニ缶の中身が実は麻薬であり、タンタンは、ここが麻薬密輸船であることを知るが、敵の一味に見つかって船室に閉じ込められ、船は出港する。
スノーウィの活躍で部屋から脱出したタンタンは、船長室に潜入し、そこで酒浸りの船長ハドック船長(英語版)と出会う。ハドックは、大の酒好きを利用されて、一等航海士のアラン[注釈 1]による麻薬密輸の片棒を知らぬまに担がされていたのであった。タンタンが逃亡し、またハドックが事情を知ったことに気づいたアランとその手下は2人を殺そうとするが、タンタンは無線で警察に助けを求めると、ハドックと共に救命ボートで海へと脱出する。敵はなおも水上飛行機で追撃を仕掛けてくるが機転を利かせ、逆にハイジャックすることに成功する。そのままスペインに向かおうとしたタンタンらであったが、嵐の中で泥酔したハドックの迷惑行為により、サハラ砂漠へと不時着する。
2人は砂漠を彷徨い、脱水状態で危機に陥ったところを救出され、フランス軍の基地に運ばれる。そこでタンタンはカラブジャン号は嵐で沈没したというラジオニュースを聞く。その後、ベルベル人の盗賊らに襲われながらもモロッコの港町バグハルに到着したタンタンであったが、ハドックとはぐれてしまう。タンタンはデュポンとデュボンに再会し、地元の裕福な商人オマール・ベン・サラードが麻薬密輸に用いられていたカニ缶を扱っていることを知る。一方、ハドックは沈没したはずのカラブジャン号が名前を変えて港に停泊しているのを見つけるが、元部下たちに見つかり、捕まってしまう。
デュポンとデュボンがサラードの身辺捜査を行いつつ、タンタンはアランら一味を追跡して敵のアジトよりハドックを助け出す。そこはサラードの邸宅の戸棚の裏にある秘密通路と繋がっていた。最終的にサラードの拘束に成功し、その胸元にあった金のハサミを持つカニの意匠のネックレスから、彼が今回の密輸団の頭目だと判明する。一方、隙を突いてボートで脱出を図ったアランであったが、タンタンに捕まる。彼らに捕まっていた日本人も解放され、彼が日本の横浜署から来た倉木文治(くらき ぶんじ)という刑事であり、殺された船員を手がかりに密輸団の捜査にあたっていたことが判明する。最後、ラジオにおいて密輸団の残党も全員が捕まったことが報じられる。
歴史
執筆背景(『ル・ソワール』の編集長であった)レイモンド・ド・ベッカー(英語版)が国家社会主義体制に傾倒していたのは確かだ(中略)私は西洋の未来は(ナチスが掲げた)新秩序(英語版)に依存すると信じていたことを認める。多くの人々にとって民主主義は欺瞞とみなされ、新秩序が新たな希望だったんだ。カトリック界では特にそのような考えが広く浸透していた。起こったことを考えれば、新秩序をわずかでも信じたことが酷い間違いだったのは言うまでもない。Herge, 1973[1]
作者のエルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『20世紀新聞(英語版)』(Le Vingtieme Siecle)で働いており[2]、同紙の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞(英語版)』(Le Petit Vingtieme)の編集とイラストレーターを兼ねていた[2]。1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・タンタンの活躍を描く『タンタンの冒険』の連載が始まった。シリーズは人気を博し、1939年時点でシリーズ第8作目『オトカル王の杖』まで続いていた。そして、1939年9月28日からは新エピソードの『Bientot Tintin… au pays de l'or noir』(後の『燃える水の国』)の連載が始まっていた[3]。
1940年5月、ナチス・ドイツがベルギーに侵攻を開始した(ベルギーの戦い)。エルジェ夫妻は数万人のベルギー人と共に車でフランスに逃れ、まずパリに滞在し、その後、さらに南部のピュイ・ド・ドームに6週間滞在した[4]。5月28日、ベルギー国王レオポルド3世は、これ以上の被害を防ぐために降伏し、ドイツはベルギーを支配下においた。エルジェは、この国王の決定を支持し、後に国王の要請に従って、国外に逃れた他の同胞と共に6月30日にはブリュッセルに戻った[5]。自宅はドイツ軍の宣撫官に接収されており、これを取り戻すためには賄賂が必要で経済的な問題に直面した(最終的にはカステルマン社より報酬が支払われて事なきを得た)[6]。ベルギーの出版物は、すべてドイツ占領軍の管理下に置かれ、カトリック系の『20世紀新聞』はそのまま廃刊となった。このため、連載中であった『au pays de l'or noir』も中断せざるを得なかった[3][注釈 2]。